[2016 ELEC座談会] 高校英語授業改善の視点 (前半)
左上から
津久井 貴之(お茶の水女子大学附属高等学校教諭)
工藤 洋路(玉川大学准教授)
豊嶋 正貴(文教大学付属中学高等学校教諭)
松下 信之(大阪府教育センタ―指導主事) (敬称略)
座談会(前半)の映像はこちらから視聴いただけます。
座談会(後半)の映像はこちらから視聴いただけます。
5月29日、ELEC英語研修所(神田錦町)において、研修会講師としてもご活躍中の4名の先生方をお招きし、座談会を開催しました。「高校英語授業の改善の視点」をテーマに、とてもフレンドリーな雰囲気で、楽しくお話をされています。映像でもご覧頂けますので、ぜひご視聴ください。
工藤:はじめに、自分たちのキャリアについて話を始めたいと思います。この座談会のメンバーは教員のキャリアが20年くらいの世代が集まっていますが、私の場合、高校で8年、大学で8年目になるので、ちょうど高校と大学で教えたのが半々になるかな。最初は所属した学会などで研修を受け、いかに50分授業を決められた通りにしっかりやるか、一字一句台本作ってそのとおりにいけばOK、行かなかったらダメみたいな感じでやっていました。かなり自由度はない授業だったけど、自分が計画したものがちゃんとできるか、当時はすごく面白かった。だけど一回卒業生を出して、もう一回りした時に違和感を感じて、もっと型にはめずに授業ができるんじゃないかといろいろ試し始めた。まだ実力がなかったから、収拾がつかなくなることもありながら、いろいろな方向を探っているうちに高校から大学で教えはじめるようになった。
今大学で教えていて面白いのは、違う高校からやってくる学生たちに「中高の時、英語学習どうだった?」と聞くと、全員バッググラウンドが違うからバラバラな意見が出てくるんだけど、8、9割の学生が高校の授業は訳読、いわゆる「予習でノートに本文を写してその下に訳を書いてきて、それをチェックする」というような授業だったということ。そして何のために英語を勉強していたかと聞くと、「入試があるから」「教科にあるから」という答えが返ってくる。自分の高校の時もそうだったし、その授業のおかげで英語を好きになったところもあるから、それ自体が100%ダメと言いたくはないけれど、教職志望の学生にコミュニカティブな英語の授業をやりなさいと言いつつ、コミュニカティブじゃない部分もあってもいいかなあというところもある。今日は高校教員の経験を持つみんなでこういう話をどんどんやっていきたいと思っています。
津久井:7、8年大学で教えていて、高校で教えていたときと何か違っていたりするの?
工藤:つい最近の事例としては、今の大学2年生は旧課程で、その学生たちが高3の時に下の学年から新課程が始まっているから、授業が英語で行われるようになったでしょ。ある学生が、その時期に学校全体で授業を英語で行うことになったらしく、自分たちがとばっちり受けたんじゃないかとか、うちら関係ないのにやらされたと言うから、「いやいや、それは良いことだよ」と話したんだけどね。でも、本人が言っていたのは、「先生たちが大変そうでした」ってね。3年生を担当する先生は、自分は旧課程だから安心してたらしいく、そうしたら学校の方針でやるとなって、それで急に先生が英語で話し始めて、ちょっと訳が分からなくなったし、「受験大丈夫かな?」という不安を持ったと言っていた。こういうのがここ最近1~2件あったかな。
今日この座談会では基本的にそれぞれが授業を違う路線でやっているので、今日はそこを深めたいと思います。
津久井:工藤先生が高校教師から大学で教える立場になったきっかけはどんなことだったんですか。
工藤:それは、巡り合わせというか、みんなも知っている東京外国語大学の根岸先生から「大学でポストがあるからどうだ?」という話があって、その時に「教員養成に関われば、工藤君が教えた学生たちが先生になって、もっと沢山の生徒たちに間接的に影響を及ぼすことができる」と言われて、それも面白いなと思ったのが1つの理由かな。
豊嶋:僕も大学で教えて4年目になるけど、週1回の授業だと学生との関係性を作るのがものすごく難しくて、それに対して高校・中学のいいところは学校行事を通して人間関係を構築していける場所であるということ。モチベーションに関しては、大学生は就職が係わってくるけれど、中高の子どもたちにとっては入試や進学をモチベーションとして利用できるっていうのはいいところかなあと思う。大学生を教えて難しいと思うのは、例えばプレゼンテーションをペアでやらせたりしても、あるひとりの子が頑張って、他は頑張らないようなところがあるし、グループ全体で頑張らせることや、教員の関わり方などが難しい。また、AO入試で入った生徒と一般で入った生徒の学力格差がものすごくあって、大学教育って意外に課題が多いと感じたりするかなあ。
工藤:学生の中には、自分が元高校教員だということを知らない学生もいるんだけど、授業が終わった後、いろいろとざっくばらんに話したり、添削を丁寧にやったり、授業外でも指導すると「先生、高校の先生みたいだね」って言われたりするんだよね。実際は元高校教師だし、生徒にしっかり寄り添っているわけで、初めは褒め言葉だと思っていた。ただ最近はそれって係わりすぎじゃないかって思うようになってきて、「ここはやめておこう」となると、発表のところでぐちゃぐちゃになるわけ。グループワークで問題があれば、高校生の場合は絶対手をさしのべるけど、大学生だから手を出さないようにした方がいいかは悩みでもある。
豊嶋:基本的には中学も高校も大学も、いかに生徒に関わっていくかがすごく大事で、どこまで手を引っ張って、どこで手を放すか、このタイミングがすごく難しいよね。
工藤:そう、引っ張っているんだけど、ギュっと引っ張るのか、ちょっと緩めて引っ張るのかがすごく難しいよね・・・、 松下さんがつぎ準備されていると思うので、どうぞ。
松下:では失礼します。私自身は高校で教えておりまして、前々任校で5年、前任校で9年間と、14年間の教員経験があります。初任校は生活習慣などに課題を抱えている子が非常に多く、「英語が好きですか?」と聞くと9割の生徒が「嫌い」とアンケートに答えるという状況でした。実際にその子どもたちをどうしたらいいかということは、学校全体での課題で、生活指導がメインの学校だったので、生活指導部に属していろいろなことをやったのですが、なかなか退学率も減らないという状況でした。その中で私たちの英語科と数学科が一緒になって授業を変えれば退学が減らせるのではないかと考え、実際に評価の在り方などを変えて、英語を好きにさせることを目的に生徒に自己表現活動や、コミュニケーション活動をさせることから始めました。現在の教員指導の立場では、学習指導要領やアクティブラーニングなど文科省からの指導に従って動いているのですが、当時はどうやったら生徒が学校に来るかという課題からのスタートでした。最初の授業で、ALTと二人で授業に行くと生徒が36人中2人しか来ていないし、来させるための方策として苦し紛れでやっていました。評価についても観点別が出始めた時期で、そこである程度英語が使えるようになったという達成感を与えることを目標にやっていたところがあります。その中で英語が好きになってくれた生徒が増えてきたおかげで卒業生も少し増やすことが出来たかなと思います。
6年目で異動になった学校では、進学をしたい生徒が100%で、コミュニケーション活動をやろうと思った時に生徒が「これ受験に関係あるんですか?」とか、他の先生方に「松下さんは英語で授業できるかもしれないけど、僕はできないからいいわあ」って言われてしまうこともありました。それでも、学習指導要領が変わる時期に重なったこともあって学校全体で授業を英語でとか、コミュニケーション活動を定着させようとか、何人かの先生方が動いてくれたこともあり、全体の雰囲気も変わってきたかなというところもあります。
今年から大阪府教育センターで行政の立場で初任者研修をやっていますが、一番多い意見としては「アクティブラーニング」や「4技能統合」という言葉です。「先生、この活動をやっているんですが、これってアクティブラーニングですか?」ってよく質問されるんです。「ここまではアクティブラーニングですよ。ここからはアクティブラーニングではないですよね」と方法論になってきているところがあって、そうではなくて、あくまで目標があって、こういうことがやりたい中の一つの手法としてアクティブラーニング的な視点をもった活動をやればいいだけのことだと思うんです。別に目的達成であればアクティブラーニングがない授業があってもいいし、対話的でなければならないとかがすごく言われていますけど、生徒が深く考える時間も必要だと思うんですよね。50分の授業の中でどういう形でやればできるのか。どこまで教員が指導で考えさせることができるのか悩んでおられる先生が多いと思います。ただ私達の中で具体例も含め生徒がどういう風に変わっていくのかということを質的な変化を示すのが難しいです。それぞれ学校で目標があると思うので。研修を担当すると一般化した話になり、現場の実情から離れてしまう気もしています。なので、一般化した話をそれぞれの先生方が自分の学校に合わせてどうアレンジしていくか、それをどう共有するか、今後私たちの立場として悩んでいるところです。今日はそれについて先生方からご意見などをいただけたら嬉しいと思います。
津久井:確かに初任者は、アクティブラーニングについて、だいたいこんなようなものかなとか、ひょっとすると現場の先生方よりは、ある程度情報を持って入ってきているから、自分の活動を「ここがアクティブラーニングで、いい授業ができたな」って思ってしまうところがあるかもしれない。その一般化されないというところは若い先生に必要で、逆にすごく経験の長い先生はアクティブラーニングがどういう背景で入ってきて、逆に一般化したものを勉強すると「おっ?まてよ。それって自分の授業でここずっとやってきたことが、アクティブラーニングなのかねえ」と気付かれるとしたら面白いよね。
松下:そうですね。若い先生方が挑戦をしたけど上手くいかないというところで、例えばどのようにディスカッションで生徒をコントロールするかとか、どういう生徒に指名をしていけばいいかとか、どう机間指導をしていくかなど、ベテランの先生方にサポートしていただくなど、そういうことができるようにしていきたいと思っています。教科全体、学校全体で巻き込んでいくような方向が必要かなという気がしますね。
津久井:はじめ、数学科を巻き込むというか、ひとりだけではなく動いていたわけじゃないですか。次の学校に行かれてもできるだけ全体で動こうという取り組み、もちろん松下さんがリーダーシップを発揮されたのだろうけど、こういうところがきっかけで始められたなどありますか。自分は、ひとりでやってしまうほうなので、巻き込んでというのが苦手なんですよ。
松下:私自身がこういう授業をしたいという素案の段階から色々な先生方に見ていただきました。それこそ教科会で、今度研究授業があるのでこういう授業をしてみたいと言って先生方にご意見を求めたりしながら、何回かシミュレーションを繰り返してみたりとか、先生方に授業の一部分を実演してみていただく中で、例えば「それはちょっと無理だよ」とか言っていただいたりして作っていくと、先生方が研究授業に参加して私自身が一人ではなかなか考えられない部分で意見を言ってくださったりします。どっちかというと私は突っ走ってしまうタイプなんです。
津久井:そういう風には見えないですよ。
松下:本当に。だから理想を突き詰めてしまって、こんなことやりたいって言うと、先生方は「いや、私はちょっと難しいです」とか「これって生徒ちょっと無理ですよ」って意見を言ってくださるので、そこで修正しながら作っていきました。そういうことで先生方が助けてくださったり、一緒にやってくださるというところにつながったのかなと思います。
津久井:課題を示して同僚や他教科と関われるのかなというのが、先生方の不安だと思うんですよね。研究授業をやるので見に来てくださいっていうと、こっちも力が入るし、一生懸命しかも頑張ったでしょうって見せられちゃうと、他教科の先生がまあ英語というのはああいうものなんだなあって思うだろうし、なおさら自分の教科だって同僚性高めるのが難しい。だけど、共通の課題って、ひょっとしたら授業外のところだったりすると教科を越えて先生方と関われるかもしれない。
松下:そうですね。
工藤:自分もそうだったかもしれないけど、自分の課題をさらけ出すのがちょっと恥ずかしいところもあるよね。
津久井:あと科目の内容が分かっていないと。
工藤:そう、言語化できないからなんかわかんない、だから結局相談も具体的に出来ないからやってしまえとか。
津久井:何か悪いところがあったら指摘してくださいって指摘しづらいよね。
工藤:課題を具体化してやる前に相談に上がるというところで協力関係を築く、これ英語に限らず大事なことかもしれないね。
松下:学習指導要領が新課程になっているかなど情報を知っておけば、そういうことができるかなと
思います。何々先生がやっていたからそれをやりたいとか、研究会でこういうテクニックがあるから出来ましたとかではなくて、実際うちの生徒を見てこういうことをやらないといけないということが、他教科の状況も合わせてしっかり把握していれば協力関係も築けるかなと思います。数学の先生は掛け算のできない子たちを微分積分までできるようにもっていくわけですよ。それを積み重ねてプリントで少しずつできるような活動を仕組んでいるところがあるし、英語だったら本文を理解するときにどのように仕組んでいけばいいのかと、数学科と同じようなプリントの形式を使わせてもらってやったというのがスタートでした。
津久井:他教科の先生の目線や取り組み方を知ることがこれからは必要で、そのプロセスも英語で使えるということもある。英語教員同士で授業を見たりするけど、他教科の先生の授業を見たり、自分の授業を見てもらったりって大事かもしれないよね。
豊嶋:例えば体育とか家庭科ってすごいなあって思うのは例えば2時間授業やると生徒が豚汁作ってたりするじゃないですか。
津久井:作れなかったりね。
豊嶋:そうそう。あれはちゃんと成果物が出来上がっている。でも英語って1時間終わって何が出来るようになったのかと言われたときに「ほら豚汁だよ」みたいな感じで出せるものが意外に少ないっていうか、子どもたちもそれを言えないわけだよね。でも実技教科の先生がすごいと思うのは、例えば体育では始まる前に整列させて、準備体操して、跳び箱させると、生徒たちが一生懸命やって跳べるようになるんだよね。あれが本当の理想のかたちなのかな。英語を体育に当てはめてみると、先生が一人で跳び箱跳んで、生徒に練習させず、できるようにならないで終わってることが多いような気がする。だから本当に他教科から学べることってすごく大きいかなって思う。あと子どものことをよく見るってすごく大事だし、決して英語だけで子どもを育ててるわけではないから、色々な人と関わりながら自分の目の前の子どもたちを育てるというスタンスってすごく大事だと思うよね。
松下:ただやっぱり言語活動を通して何かが出来るようになるとか、今日の授業1時間でできるようになったことを見えるようにするってすごく難しいです。英語で活動していても正しい英語を使えたとか伝わったという実感がその1時間1時間にあるわけではないので、そうするとノートを綺麗に作るとかプリントをきちっと埋めていくほうが、実は達成感があるのではないかと考えてしまう先生がいて、それもある意味分かるような気もしますね。こういう活動が今ここにつながっていると示せるかどうかとかという意味ではcan-doリストなども活用していくことも必要だし、活動一生懸命やったけれども、まだ何を学んだかわからないということはよくあることなので、そこをどう仕組むかというのが本当に難しいです。
豊嶋:教科書をどう訳すかとかを教材研究と思ってしまう先生が結構多いけれども、最後に生徒へどんな達成感や自信を与えるか、それをしっかり考えられる教材研究がすごく大事だと思いますね。
松下:そこはもう少し先生方が意識をして自分たちの学校でアレンジできるような、教材をきちんと考え直してもらうことを考えています。
豊嶋:目標に対して達成させる方法のひとつがアクティブラーニングであって、その時に使って効率がいいものがICT。だけど、アクティブラーニングやICTって使ってはいるけれども結局生徒が育っていないということになるとあまり意味がないよね。「英語の授業は英語で」もはやったけれども、それも先生だけが英語を使うのではなく、生徒たちから英語を引き出すために使わなければいけないわけだから、先生たちの見方として本質が分かっているのかなと思うときがある。やっぱり英語を使うのは先生じゃなくて子どもたちだという発想をちゃんと持つことが大事だと思う。
松下:英語で授業をすることを目的にするのではなく、日本語が少し多い先生と日本語がほぼない先生でいても、最後の活動をきっちり合わせておくことがすごく大事で、観点でテストの形式もそうですが、ただ頂点は決めておきましょうと、そこは若い先生方にも相談するようにアドバイスはしているんですけどね。
豊嶋:登るべき山の頂上はみんないっしょで、登り方や経路はみんな違うぞっていうね。
松下:そうです。やはり日本語で文法説明が上手くできる先生もいていいですし、その活動がこっちの活動につながるのであれば、その説明はきちんと入れてくださいねと言います。
工藤:「英語で授業」や「アクティブラーニング」も出たし、はやりものが出たからそれに乗っかってちょっとやってみようという意識は悪いことじゃないと思う。例えば、「英語で授業」の目的と手段が出てきたけれども、まあ若い先生だと概念的なことを言われても経験がないから「こういう意図でやる」と言うことも分からない部分もある。20代では、コントロールされた授業も自分で考えた手法ではなく、大学で習ったことを意図も分からずやって、それを目的にしていた。とりあえずオーラルイントロダクションやって、それをやることが目的だったけど、とりあえず流行に乗っかっていること自体はたぶんいいかなと思う部分もある。さっき津久井先生の話を聞いていて思ったんだけど、年齢が上がってきて中堅くらいになったら概論的なところから入ってもいいし、研修行うときに、「とりあえずやってみてから実は裏付けでこういうのもあったんだよ」っていうアプローチがあってもいい。自分も教員研修とか担当させてもらっているので、アプローチの仕方をそれぞれの世代によって変えることも面白いかなあと思う。
豊嶋:20代のころはね、いい技はすぐ真似るよね。そして破たんするっていうか。
工藤:破たんするから次はどうしようって考えるんであって、真似から始めなくてはという部分もあるよね。
豊嶋:いろいろ真似たよ。
津久井:こういう立派な先生は真似ようとするけどさ。
工藤:しなかった?
津久井:真似っていうか、何か面白いことをやりたいってことはあったけど、自分も年齢的に高校の時の教え子とかが教員になって、話しを聞いてみると自分が教わった時のやり方で教えているらしく、「あれ?そんなに訳読ばかりやってなかったけどな」と思って聞いてみると「とりあえず今まで教わったやり方でやっています」と言う。そんなことやっていなかったはずなんだけど、チャレンジするのが怖い若い人もいて、知識としては教員採用で先生になるために勉強しているから、バツは今までのやり方、マルはアクティブラーニング。じゃあそのマルになるものを急にやってみようと思っても、アクティブラーニングのはっきりとしたマニュアルがないわけだから、そこでそんな簡単にいくのかなってジレンマを感じている先生もいる。自分の教え子たちの授業を直に見たわけじゃないけど、そこらへんが若いからと言ってそっちに踏み出せない人たちがいるんだなって感じる。
工藤:教員もその我々の世代でもタイプはいろいろあるから、新しいものをすぐやってみようと思う人もいれば、知ってるけど一歩踏み出せないというかね。
津久井:今までやってないわけだし、少しだけ勉強したものを授業でやっても上手くいかないんだよね。慣れない新しいことをやって生徒たちは授業の中で「今日の先生どうしたんだろ?」ってなったりね。
松下:よく失敗されている先生から相談を受けるとき、生徒自身が実験台にされているんじゃないかという不安を与えてしまうのではないかと言われるんですね。ほかの先生はしていないのになんで私達だけこういうことされるのかなと。だからそこはちゃんと日本語でもいいと思うので、こんなこと学んできたから一回ちょっと上手くいくかやってみて、みんなも感想ちゃんと聞かせてねって納得をさせるように、自分の言葉で語ることがすごく大きいかなって思ってるんです。
豊嶋:新しい技を得たときはやっぱり自分が作り出したぞという感じで出しちゃうよね。
津久井:豊嶋さんがすごいのは、ちゃんと自分でアレンジするからね。
豊嶋:それは年を取ってできるようになったことで、最初のうちはそのままコピーしてやってみると、そこだけうまくいくけど2回目はもうだめなんだよね。
工藤:1回目はビギナーズラックで行くんだよ。次からおかしくなって生徒も新しいから取りあえず、まあやってみようというのがあっていいけど、当然こっちは継続性もないし、よく分からずに入れるから2回目3回目からだんだん「あれ?」という感じになってくるしね。
松下:生徒も飽きてきますしね。
豊嶋:やっぱりちゃんと何のために、その先生が何をゴールにしてそこの活動を入れているのか、そこが分かってこないと結局そこだけ見て、「これいいな」と思ってやると悲惨な結果に終わるよね。
松下:活動が上手くいかないときにここは我慢したら、もうちょっと生徒自身が動くようになってくるとかあって、若い先生が挑戦したときに1回2回で諦めないっていうところも必要かなあと。だから失敗して、じゃあ変えようではなくて、周りの先生や先輩の先生方が支援してあげるというか「もうちょっとやってみたらどう?」みたいなプッシュがあると嬉しいですね。
豊嶋:松下さんも年取ったなって。
松下:いいこと言うなって。
豊嶋:10年前って、僕たちはまだ20幾つですか。早いな時間がたつの。
津久井:そろそろ休憩の時間なので。
前半 (了)