ジャパン・スタンダード JSプロジェクトの今後の展望―異文化コミュニケーション能力の参照枠策定をめざして―

                                 川成美香(明海大学准教授)

『【CEFR準拠】新たなジャパン・スタンダード―小中高大の英語教育をつなぐ指導―』(川成美香・岡秀夫・笹島茂編著)が2024年4月に出版された。「JSプロジェクト」と称する科研研究で策定した能力記述一覧表とその枠組みの理論編、および小中高での実践編から構成されている。JSプロジェクトは旧学習指導要領のもとで行われたもので、その後新学習指導要領(小学校2017告示・2020実施、中学校2017告示・2021実施、高等学校2018告示・2022実施)が現在は施行されており、欧州ではCEFR(2001年)の補遺版であるThe CEFR Companion Volume with New Descriptors (CEFR-CV)がヨーロッパ評議会(Council of Europe: CoE)から公開された(2018年2月)。そのような背景のもと、JSプロジェクトはその後何を志向してきたのか、また今後の方向性は何かを本稿で紹介したい。
 
「JSプロジェクト」は科学研究費基盤研究(B)「外国語コミュニケーション能力育成のための日本型CEFRの開発と妥当性の検証」(課題番号:22320108、代表者:川成美香)平成22年度~平成24年度」で行ったものである。この標題にある日本型CEFRを、「外国語(とくに英語)運用能力に関するJS:ジャパン・スタンダード(Japan Standards for Foreign Language Proficiency, based on CEFR)と称して、世界基準との整合性を担保しつつ日本的な特異性も考慮して策定と検証を重ねた。完成した能力記述一覧は、C2からPreA1までを12レベルに細分化して明示したディスクリプタから構成され、とりわけB2.2からA1.1にはディスクリプタを具体的にイメージできる言語材料の典型例(語彙・文法・文)および評価基準参考を付与して実用化をめざしたものである(詳細は冒頭に記した拙著をご覧いただきたい)。

しかしながら実際のコミュニケーション場面を想定すると、言語材料をどのように活用して何に配慮すれば対人コミュニケーションが円滑に運べるのか、コミュニケーションの質的側面についての枠組みが必要との考えに至った。そこで、次に立ち上げのが、科学研究費基盤研究(C)「異文化コミュニケーション能力の育成と評価―CEFR を基盤とする英語教育の展開」(課題番号:15K02691代表者:川成美香)(平成27年度~平成30年度)である。新学習指導要領では、「英語ができる」だけでなく「英語で実際に何ができるのか」という行動主義的な英語コミュニケーションの能力を育成することが明確になったが、その背後には日本人特有の「異文化コミュニケーション能力」の問題をはらんでいることを見逃せない。例えば、TOEICで高得点をもつ日本人ビジネスパーソンが、アメリカ人とのビジネスミーテイングで英語による商談にコミュニケーション上の問題を生じるのは、文化、商習慣、会議の運び方などに日米の違いあることに起因する。このような日本人特有の問題を解決するには、「言語能力」である英語のスキルだけでなく、それ以上に、話者交代のシステムやポライトネスの概念などを含む語用論的、社会言語学的な側面がからむ「異文化コミュニケーション能力」の育成を、英語教育の中で対応していく必要があるとJSプロジェクトは志向している。そこでこの2つめの科研研究では、日本の社会文化および英語教育のコンテクストに適応するかたちで策定した「JS言語能力記述一覧表」に、外国語学習には言語能力とともに不可欠な「異文化コミュニケーション能力」の参照枠を付与することをめざして包括的な「ジャパン・スタンダード」の策定に着手した。

先んじて欧州では、CEFR基盤の異文化コミュニケーション能力開発ツールが策定されている。複言語・複文化的アプローチにより策定されたECML(ヨーロッパ現代語センター)のFREPA(Framework of Reference of Pluralistic approaches to Languages and Cultures)(2012年)や、ヨーロッパ評議会の異文化体験記述ツールAutobiography of Intercultural Encounters(2009年)、フィンランドの職業人の異文化コミュニケーション評価ツールであるCEFcult(2012年)などの実践的取り組みである。これらは国境を接するヨーロッパ特有の環境の中で、人々が生活するうえでごく日常的に異文化・異言語と接触するというコンテクストから必然的にうまれたものである。そもそもCEFRが、ヨーロッパ評議会加盟国の人びとが相互にコミュニケーションすることを容易にするために策定されたものであり、根底にある理念は異文化・異言語を越えたヨーロッパの人々の共存と平和をめざすものである。ヨーロッパと日本では、求められる異文化対応や異文化コミュニケーション能力が根本的に異なる。そのためFREPAなどの既存のツールを参照して日本型の異文化コミュニケーション評価ツールを策定することは困難を極めることとなった。

そのような時期に、McConachy(2018)のDeveloping Intercultural Perspectives on Language Use-Exploring Pragmatics and Culture in Foreign Language Learning-と題する出版されたばかりの本に目を引かれた。本書は、言語学習と異文化理解を結びつけて、異文化間コミュニケーション能力の育成をめざした実践的研究を紹介するものである。Byram (1997)は、Intercultural competenceと言語学習を結びつけたモデルを提示して、Communicative competence とIntercultural competenceを統合した能力がIntercultural Communicative Competenceだとしている。これに対してMcConachyは、異文化間のコミュニケーションは対話者同士が歩み寄る動的なもので、言語的意味交渉には文化がどのように関わるかに気づき理解することが重要だとしている。対話のやりとりの中で第2言語(L2)の語用論のルールに気づくこと(meta-pragmatic awareness)が、コミュニケーションの本質への感受性を培うことになるという。異文化間コミュニケーションではその社会文化的なコンテクストが異なるため複雑になるものの、politenessやpowerなどの社会語用論的概念から始めて、それらがどのように言語に表出するのかを指導することが有効だとしている。実際に、日本の大学での海外留学事前研修として、コミュニケーション能力の向上と、留学中に必要な文化的知識を得ることを目的に、日本人大学を対象とした40時間の研修を実施している。テキストや教師が提供する依頼、謝罪、褒めなどのダイアログを用いて、学生と教師が議論することを通して、学生は、発話の解釈や言語使用がコンテクストに依存し、対話者間の交渉によって意味解釈が成立することに気づくようになるというものである。注目すべき点は、この実践が、日本の大学の教室内での取り組みであり、教師と学生あるいは学生間の協働作業であることで、教師の効果的な足場かけ(scaffolding)が重要なかぎとなる。異文化への気づきを培う教授法として、小中高の段階でも実践できる方法だと思われるが、教師の力量が非常に重要となろう。

また、Roever(2022)のTeaching And Testing Second Language Pragmatics And Interaction-A Practical Guide も示唆に富んでいる。語用論の能力とは、Leech(1983)が2つの構成要素である「社会語用論的能力(sociopragmatic competence)」と「語用言語的能力(pragmalinguistic competence)」からなるとしている。前者は社会のルールでいつ、誰に、どう振舞うのかの暗黙の了解であり、後者は言語のルールで社会語用論の規則をふまえた適切な表現のことである。Roever(2022)は、語用言語学知識は初級から中上級までCEFRのレベル応じた指導が可能であるとして、文法項目と言語材料とともに具体的な指導法を提示している点が興味深い。例をあげると、Pre-A1~A1レベルでは、基礎的な社会的規範への気づきがあり、あいさつ等の決まり文句や呼びかけ表現、簡単な定型表現を使って買い物場面での簡単なやりとりをさせる。A1~A2レベルでは、やりとりの機能の多様性への気づきがあり、慣習的な間接表現(eg. Can I…? /I‘m sorry for…. /Would you like ….?)、定型表現でフォーマル・インフォーマルなものを区別し(Sorry. vs. I’m sorry. /Iwant… vs. I would like…)、定型表現の含意や文脈による意味のちがいへの意識を高める。A2~B1レベルになると、語用言語的なバリエーションと対話者に応じた社会語用論的規則に気づくので、やりとりの流れ(eg. あいさつ-前置き-本題)を意識させ、会話の開始・終了の仕方や適切なあいづちなどの談話スキルも使える。B1~B2レベルになると、社会文化的規範に応じた語用言語的ツールのバリエーションが増え(eg 上下・親疎関係に応じた依頼表現のポライトネスの調節)、高度な談話スキル、より複雑な含意の理解と産出などが可能となる。さらにB2~C1/2レベルになると、社会文化的文脈に応じた語用言語的表現の使い分け(eg. 目上からの依頼を断る)、ESPでの分野に応じた言語使用が可能となる。このように見てくると、初級学習者の段階から語用論は意識させることが重要であるとわかる。この点は日本人英語学習者にも適応すべきであろう。また社会語用論的知識についても、日本語と比較して気づきを促すことも可能である。Roever(2022)での示唆は、JSにおいてとりわけ日本人英語学習者「異文化コミュニケーション能力」の参照枠策定にあたり、指針のひとつになり得るとの考えに至っている。

次にここで、新学習指導要領では、第2言語(L2)語用論の扱いがどのようになっているかを指摘したい。まず外国語教育の目標は、高等学校では「実際のコミュニケーションにおいて目的や場面、状況などに応じて適切に活用できる技能」として、目的や場面、状況、相手の反応などを踏まえた上で、適切な語彙や表現などを選択して活用するために必要な技術を身に付けることしている。ところが「目的や場面、状況」と最も関連のあるL2語用論に関する指導や評価は体系的には扱われていない。Communicative Language Teachingはコミュニケーション能力の育成をめざすもので、それには、対話のやりとりの文脈をふまえた言語運用能力を育成することが重要である。また、文法・語彙・発音の運用場面では、必ず文脈に応じて、発話者の意図を伝えるための言語形式が選択される。よって語用論を文法・語彙・発音と統合した指導と評価も必要となる。

また検定教科書におけるL2語用論について、吉富(2023)は、13社から出版されている43冊のEnglish Communication I/II・Logic & Expression I/IIを分析している。結果として、Function というセクションのある教科書は啓林館のVision Quest (Standard/Advanced)のみで、説明は和訳と機能の名前だけであって、定型表現を積極的に採用しているわけではない。Useful expression というセクションがある教科書は多いが、単文またはごく短いダイアログでの紹介で、明示的にどのような場面で使うかといった説明はない。Grammar for Communicationというセクションのある教科書も多いが、文法の「用法」の説明はない。少しでも機能に関わる情報があるのは「論理・表現」で、「英語コミュニケーション」にはほぼ無い、といった指摘がなされている。新学習指導要領では、「目的や場面、状況」に応じて適切に活用できる技能をくり返し謳っているのにもかからず、L2語用論に関る指導法や評価法が体系的に明示されていない。この点が起因して、検定教科書において具体的なL2語用論に関わる言語材料や説明の記述が乏しいのであるなら、これは何らか対応が必要であろう。その対応策のひとつとして、JSプロジェクトで進行中の「異文化コミュニケーションの能力」の参照枠が体系的に明示できれば、新学習指導要領と現場での教科書や言語材料の一助になるものと考えている。

最後に、The CEFR Companion Volume with New Descriptors (CEFR-CV)(2018年)がCEFR(2001)から何がどのように変更されたかを明らかにし、JSの「異文化コミュニケーション能力」の参照枠策定に取り入れる視点を検討したい。CEFR-CVには、初版から大幅な見直しと拡充がなされている。Pre-A1の記述の追加やCレベルの記述の修正があり、最も大きな改訂として新たに「媒介(Mediation)」の能力記述が開発されている。この「媒介(Mediation)」は3つのマクロ機能に基づいていて、テキストとの媒介に関する「取引・交渉言語使用(Mediating a text)」、意見形成における媒介に関する「評価・問題解決言語使用(Mediating concepts)」、コミュニケーションの媒介に関する「創造・対人言語使用(Mediating communication)」の枠からフレームワークでも記述がなされている。またこの「媒介(Mediation)」は、複数の技能に関わるものであるため、CEFR-CVでは、言語の4技能のくくりでなく、言語の技能を「受容(聞く・読む)」「産出(話す・書く)」「インターアクション」「媒介Mediation」の新たな4つに集約している。この「媒介Mediation」の中の「創造・対人言語使用(Mediating communication)」は、異文化要素を含むコミュニケーションにおける媒介であり、異文化間での交流の促進や他者との人間関係に配慮したやりとりの促進に関する尺度が含まれている。この枠組みと能力記述に着目すると、異文化コミュニケーション能力の参照枠を付与した包括的ジャパン・スタンダードの完成には、この「創造・対人言語使用」の部分のさらなる精査と適応が急務である。また、従来のCEFRからあった「コミュニケーション言語能力(Communicative language competences)」を構成する3つの能力、すなわち「言語的能力(Linguistic competence)」、「社会言語能力(Sociolinguistic competence)」、「言語運用能力(Pragmatic competence)」とそれぞれの下位能力についても、再度の確認が必要である。

グローバル化が急加速する世界情勢の中で、CEFRがさまざまなニーズに合わせてCEFR-CVという進化形に変容したこと鑑みると、CEFRに準拠して策定したJSも進化していかなければならない。またコロナ禍を経て急浮上したChatGPTなどの生成AIと人間とのかかわり方は、とりわけ教育現場での対応が喫緊の課題となっている。タブレットを使いこなす児童や生徒が、人間ならではのコミュニケーション能力の質を高めるにはどのように導けばよいのか。とりわけ英語教育において、言語スキルだけでなく、AIには取って代わることのできない「社会語用論的能力(sociopragmatic competence)」と「語用言語的能力(pragmalinguistic competence)」を、日本のEFL環境の中でどのように培っていくのか。それには、まず新たなベンチマークが必要であると結論したい。また教授法としては世界的な広がりをみせているCLILが最適である。JSとCLILについては、JSの共編著者である笹島茂氏の論考に委ねたい。また新学習指導要領のもと高等学校でのJS活用実践の現状と今後については、共著者の吉田章人氏の論考に委ねることとする。

<参考文献>

川成美香・岡秀夫・笹島茂(編著)(2024)『【CEFR準拠】新たなジャパン・スタンダード―小中高大の英語教育をつなぐ指導―』朝日出版社.
櫻井直子・奥村三菜子(2024)『CEFR-CVとことばの教育』くろしお出版
真嶋潤子(2019)「外国語教育のおける到達度評価制度について:CEFR初版2001から2018補遺版CEFR-CVまで」Osaka University Knowledge Archive: OUKA, https://ir.library.osaka-u.ac.jp/
吉富朝子(2023)「第二言語語用論を加味した英語教育の提案:検定教科書への体系的導入に向けて」口頭発表スライド資料、JACET関東大会:SIG発表-SLA研究会
Byram, M. (1997) Teaching and assessing intercultural communicative competence. Philadelphia, PA: Multilingual Matters.
Leech, G. N. (1983)Principles of Pragmatics. London: Longman.
McConachy, T.(2018)Developing Intercultural Perspectives on Language Use: Exploring Pragmatics and Culture in Foreign Language Learning. (Language for Intercultural Communication and Education,33), Multilingual Matters Ltd
Roever, C. (2022) Teaching And Testing Second Language Pragmatics And Interaction: A Practical Guide. Routledge.

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