B5判 240頁 本体2,500円 朝日出版社
寺内一(高千穂大学学長・教授)
はじめに
『【CEFR準拠】新たなジャパン・スタンダード―小中高大の英語教育をつなぐ指導―』(以下、本書)の書評を依頼されて、気軽に引き受けはしたものの、実際に読んでみると本書がカバーしている領域があまりにも広く、どうやってまとめていけばよいのか、正直かなり悩んでしまった。しかし、そんな弱気なことばかりを言ってもいられないので、本書を読んだ後、本書の出発点となっている「小池科研」の最終報告書(以下、報告書)を本棚から引っ張り出して、508ページにも及ぶ分厚い報告書を読むことにした。
1 本書の生みの親である「小池科研」
本書の序文にあるように、「小池科研」とは、小池生夫明海大学教授(当時)を研究代表者として2004年度から2007年度にかけて行われた研究で、「英語が使える日本人の育成」を大きな目標として実施された。正確には、科学研究費補助金研究―基盤研究(A)「第二言語習得研究を基盤とする小、中、高、大の連携をはかる英語教育の先導的基礎研究」(課題番号:16202010)である。報告書の研究組織の頁を見ると、本書の編著者である川成美香(明海大学)、岡秀夫(東京大学)、笹島茂(埼玉医科大学)〔3名の敬称略〕のお名前が研究分担者の中にある。かくいう私もその「小池科研」メンバーとしてリストに載っていることを改めて確認した。同時に、この報告書が刊行されたのが2008年3月ということは、「小池科研」そのもののスタートはそれから4年前の2004年4月であり、今からちょうど20年も前のことであった。月日の経つ早さに改めて驚かざるを得ない。そして、本書のタイトルにも入っていて、今やその存在が当然視されているCEFR(Common European Framework of Reference for Languages: Learning, teaching, assessment, 以下、CEFR)そのものについても、「CEFRって何?」ということからこの「小池科研」が始まったことが今となっては懐かしい思い出である。
さらに、本書のタイトルで使用されている「ジャパン・スタンダード」というのも、そもそもの「小池科研」では「CEFRjapan」という名称であって、当時から使われたものではない。本書の編著者のひとりである岡先生が「小池科研」の会議中に何度も「CEFRjapan」と口にされていたことを鮮明に思い出した。ただし、このCEFRjapanは本書を理解する上で、非常に重要なので、報告書で書かれている部分を紹介する(1-2頁)。なお、CEF班とはCEFRjapan作成チームのことで、岡英夫、三好重仁、川成美香、笹島茂、高田智子(敬称略)がメンバーであった。
わがCEF班は、学校教育までの学年や学修指導要領の枠を超えて、英語コミュニケーション能力を測る国際的な尺度が必要であるとの認識に立ち、その活動を始めた。その結果、国際的な尺度を考察する上で、欧州協議会(Council of Europe)で開発され、EU諸国で利用されているCEFRが現在の世界の外国語教育において革新的なモデルを提示してくれており、そのアイディアを取り入れたCEFRjapanの試案を作成することになった。
すなわち、CEFRjapanは、「小池科研」で打ち出そうとした言語教育政策構想そのものであることがわかる。具体的には、国際的に活躍するビジネスパーソンに必要な英語力を到達基準として、そこに到達するための大学生の到達基準、さらに逆算した高校、中学校、小学校の段階での到達基準を定め、それらの目標に対応する教授法、学習方法、教材、異文化対応力を開発することになり、様々な基礎調査が「小池科研」の中で4年間にわたり実施され、CEFRjapanの試案が提示されたのである。
2 CEFRjapanとジャパン・スタンダード
その「小池科研」が2007年度に終了となり、「小池科研」本体の研究のほとんどは投野由紀夫東京外国語大学教授が研究代表者として主導された科学研究費補助金研究―基盤研究(A)「小・中・高・大の一貫する英語コミュニケーション能力の到達基準の策定とその検証」(課題番号:20242011)、以下「投野科研」)に受け継がれていくことになった。「投野科研」では、このCEFRjapanの基本構想の理念を継承して、CEFR-Jという指標が策定され、今に至っていることは周知の事実である。一方、このCEFRjapanは、実はもう一つのプロジェクトを産み出していた。それが本書の「ジャパン・スタンダード」である。本書の編著者(川成美香・岡秀夫・笹島茂)は「小池科研」で示されたCEFRjapan試案の考案者であり、CEFRに準拠した日本型CEFRを構築すべく、「ジャパン・スタンダードプロジェクト」を2010年度にスタートさせていたのである(科学研究費補助金研究 基盤研究(B)「外国語コミュニケーション能力育成のための日本型CEFRの開発と妥当性の検証」(課題番号:22320108、研究代表者:川成美香)2010年度~2012年度)(以下、「川成科研」)。
上記の「川成科研」の終了から12年の歳月が過ぎ、本書が2024年4月に刊行された。その間に学習指導要領も改正されている。しかし、それに対しても本書の刊行が今になったおかげで、さらに加筆することで、今の時代でも対応することが可能な普遍的な指標となった。そして、繰り返すことになるが、本書の掲げる「新たなジャパン・スタンダード」というものがCERFjapanをプロトタイプとした開発された非常に価値のあるものであることには変わりがないのである。
3 ジャパン・スタンダードの特長
そのジャパン・スタンダードであるが、詳細は本書を読んでいただくことにして、その特長となっているところをいくつかあげてみたい。紙面の都合上、すべてをあげられないことには容赦していただきたい。
特長1 ジャパン・スタンダード基本的フレームワーク
ジャパン・スタンダードは、CレベルはCEFRとほぼ同じであるが、4技能ごとにC2とC1レベルに分けたCAN-DOディスクリプタと言語材料参照表ができている。BレベルとAレベルはフィンランドのLanguage Proficiency Scaleを参考に、日本の言語文化事情を考慮して4技能ごとにB2.2、B2.1、B1.2、B1.1、A2.2、A2.1、A1.3、A1.2、A1.1と区分して提示している。さらにその下に、先述のPre-A1が独自に設定されているのである。
特長2 Pre-A1の策定
「小池科研」のCEFRjapanでも再三強調されていたが、日本の英語教育事情、社会からの期待や要望、そしてヨーロッパとは異なる言語・文化事情を十分に考慮する必要があるとした。それゆえ、ジャパン・スタンダード(プロトタイプのCEFRjapanも)では、初級のAレベルをA1.1、A1.2、A1.3よりも、さらに前段階のPre-A1の設置が不可欠であるとしたことである。
特長3 JSディスクリプタの4要素
4技能12レベルで構成されるジャパン・スタンダードの能力記述文は、「4要素」から成っている。これは日本語教育の「JF日本語教育スタンダード」の「Can-doの構造モデル」を参考にしたようであるが、「条件」+「話題・場面」+「対象」+「行動」の4要素ですべてのディスクリプタが構成されるようにしている。最後の「行動」を含んだ4要素がすべてに入っているというのが、ジャパン・スタンダードの条件となっている。まさに何かを知っているのではなく、実際に行動するということを指針としたCEFRそのものの考え方を具現化していて、本書の重要な部分であると認識している。
4 本書の構成とその概要
最後に、章ごとの内容を簡単に紹介して本書評を終わりにしたい。
序文「ジャパン・スタンダード」プロジェクトの目的と本書の概要では、「小池科研」の中のCEFRjapan構想が、本書の柱となっている「川成科研」に引き継がれた経緯をはじめとして、本書が刊行に至るまでのプロセスが説明されている。第1章「CEFRとは」では、文字通り、ジャパン・スタンダードが準拠しているCEFRそのものとCEFRが持つ問題点を指摘し、「ジャパン・スタンダード」がそのCEFRにどのように対応したかを解説している。第2章「CEFRに準拠したJS:ジャパン・スタンダードとは」では、JS導入の経緯とその概要を説明した後、ジャパン・スタンダード特有のCAN-DOリストの策定・提示方法が示されている。そして、言語材料の選定・提示方法が具体的な説明と共に示されている。CAN-DOリストも言語材料もジャパン・スタンダードならではの日本の文脈を考慮したうえで、実際に小中高の学校現場の先生方と協働して開発されたものであることが理解できる。以上が、前半部分でいわば理論編と称してもよいだろう。
後半の第3章「JSの高校英語教育での運用」、第4章「JSの中学校での実践」、第5章「JS Pre-A1 小学校における英語活動とカリキュラム」は、ジャパン・スタンダードを実際に教育現場で運用した例が紹介されている。まさに、英語教育の基本である理論と実践の融合である。高校、中学校、小学校といったそれぞれの段階で、ジャパン・スタンダードが示した指針に基づいており、そこで実践されている事柄すべてが、その指針に立ち返ることができるので、カリキュラム、指導法、評価まで詳細に確認することができる。教育現場で実際に児童・生徒に対面する英語教師にとってはとても有益な情報が満載である。
巻末にある「JS言語能力一覧表」は「JSディスクリプタ(日本語版)」と「JSディスクリプタ(英語版)」は、C2からPre-A1まで、4技能ごとに総論ディスクリプタで大きくまとめた下に、各論ディスクリプタで詳細が記述されている。そして、それに続く「JSディスクリプタ+言語材料参照表」では、先述の日本語と英語のJSディスクリプタにさらに、言語材料が例とともにまとめられている。例えば、B2.2聞くの頁では、総論ディスクリプタの後に、4つの各論ディスクリプタが来て、その横に語彙(例)、文法(例)、テキスト(タスク)、評価基準参考という形式で非常にわかりやすくコンパクトにまとめられている。これがA1.1まで続いており、常に参考とすることができるものとなっている。これらの巻末資料はQRコードからダウンロードが可能で利用の便宜が図られている。
おわりに
以上、拙い文章になってしまったが、本書の書評としてまとめてみた。まずは、「小池科研」スタート時からいた者として、本書の刊行に心からお祝いを申し上げたい。そして、本書が日本の小中高大をつなぐ英語教育はもちろんのこと、日本語教育をはじめとした他言語教育、さらには、さまざまな応用言語学の領域の発展に寄与する一助となることも心から祈っている。本書評が出た後に、本書の執筆者が「ジャパン・スタンダードの今後」を執筆されていると耳にした。最新のジャパン・スタンダードの状況も知らせてくれるという。今から楽しみである。
(てらうちはじめ)