寺村 繁(元ELEC教育部長・元ELEC評議員)
平泉・渡部論争の本質
渡部英語教育論のエッセンス
渡部教授はそれまでも『現代英語教育』(研究社)、『英語教育』(大修館書店)、『英語展望』(ELEC)などにエッセイや小論を執筆しているが、月刊誌『諸君!』(文藝春秋社刊)1975年4月号に「亡国の『英語教育改革試案』」を発表する。評論集『腐敗の時代』に収めるための一篇としてまとめたもので、渡部教授の英語教育論の決定版といえる。結論は二つにして一つ。学校における英語教育は英文法・英文和訳・和文英訳に徹すべきこと。否定すべきは英会話であり、英語ペラペラ幻想だという。国民教育において大事なことは知的訓練であり、その集積としての日本文化の精髄は外国の文献を正確に読み解くことにある。そして英語教育の根幹は文法にあると絶対的な信念を持って断言する。英語がわかるための唯一の方策は英文法に精通することで、それによってのみ英文を正確に読み取ることができ、正確な英文を書くことができるのだと言う。
自説を説明するのにさまざまな分野から収集した事例を援用する。聖徳太子の仏典研究にさかのぼり、江戸時代の漢学者、荻生徂徠とその弟子の業績に注目し、原典を正確に読み解く研究方法こそが日本文化の誇るべき伝統とする。また明治時代の熊本五高の英語授業、前任の米国留学帰りの教師に比べて極めて評判のよかった若い教師の話。あるいは数学者岡潔の旧制中学時代の丸暗記のエピソードを取り上げる。しかもその叙述は、「この時の日本の大学を出た若い教師というのが誰であろう後の漱石、若き日の夏目金之助であった」「岡先生の丸暗記はまことに徹底したもので、試験がすむと同時に食べたものを全部吐き出し、再び胃が食物を受けつけるまで二週間かかったとのことである。私はこのような暗記の訓練に耐える経験が青少年の知・情・意のめざめに本質的な関係があることを、岡先生と共に信じて疑わない」と流れるような名調子。さらにELECの『英語展望』が取り上げている「平泉試案」に着目して仮想敵に仕立て上げ、タイトルを「私の英語教育論:知的訓練、母国語との格闘、潜在能力の育成」といったものではなく、「亡国の『英語教育改革試案』」とセンセーショナルなものにする。「平泉試案」の一部あるいは『英語展望』での平泉氏の発言を恣意的に抜き出して渡部流の解釈を加え、話の節目で「そのことごとくがそっくり間違っている」と断罪し、説明なしに「すべて誤解と誤謬から成り立っている」と決めつけ、頭ごなしに「初めから終りまで間違っている」と全否定してテンションを高める。
「話せば分かる」対「勝利の方程式」
平泉氏としては、誤解を正そうと「平泉試案」の全文を掲げ、「渡部教授に反論する」と題して『諸君!』の翌5月号に寄稿する。ただし渡部教授は、「平泉試案」を誤解しているわけではなく理解する積りがないということであり、また論理的に批判しているわけでもない。単に自説を引き立たせるためのアクセント、料理の味を引き立たせる薬味のようなものとして用いただけなので、それに反論するといっても論点が必ずしも明瞭ではない。また、倉石武四郎『支那語教育の理論と実際』という本を引用して漢学の話をするが、渡部教授の名調子に比べると少しばかり迫力に欠け、インパクトが弱いことは否めない。それでもELECの2度にわたるパネル・ディスカッションの経験などをふまえ、ていねいに自身の英語教育論を展開し、読者の好反応を得て「英語教育大論争」が順調に滑り出す。
ところでその頃ELECは何をしていたのか?
『諸君!』で始まった大論争を横目に、ELEC関係の英語教師を主対象とする『英語展望』の特集として、平泉氏と鈴木孝夫教授(慶應義塾大学)との対談を行っている(1975年夏号掲載)。まずは当時の美濃部亮吉東京都知事批判で話が和やかに始まり、平泉氏のワイン談義に鈴木教授は聞き役に回る。本題に入り、二人は外国語教育の現状認識と改善の方向性で一致する。英語の国際通用性や発信型英語教育の必要性で話がはずみ、また外国語学習法として新聞を読み込むことでも議論がかみ合う。もしかしたら平泉氏はこの対談のように、よりよい英語教育のために渡部教授との間で意見を出し合うことを無意識的に想定していたのかも知れない。
閑話休題。「平泉・渡部論争」の第3幕は渡部教授の第二論文「平泉案は新しい“廃仏毀釈”だ」で白熱の度が高まる。内容的には教師論そして顕在的能力、つまり実際に使える外国語を身につける方法論を中心に渡部理論が展開される。
結論は明快で、実用になるほどの外国語能力は留学しなければマスターできない。きわめて稀な例外として、「もっとも関口存男(つぎお)の如く、ドイツの地を踏むことなく、流れるが如くドイツ語がしゃべれて、短編小説をドイツ語で書いてみせたような人もいたのであるが、彼は明らかに語学の天才だった」とする。日本の学校で、日本人の教師の指導で役に立つ英語、顕在的能力が身につくというのは迷信だとする。絶対にできるはずのないことはやめ、できること、すべきこと、すなわち潜在能力の開発に集中すべきと主張する。
日本人教師にできること、すべきこととは何か?
「・・一つは私の体験から、もう一つは比喩をもって語ってみよう。
私は中学(旧制)から高校(新制)にかけて佐藤順太先生という老人から英語を教えていただいた。・・先生にはもちろん外人と接する機会はなかったわけで、会話はほとんどできなかったのではないかと思う・・しかし読む本は極めて正確にお読みになり、構文の説明も明快だった。そして何とわれわれはベーコンのエッセイを読んだのである。・・こう言う訓練がすんだあとでは、スピードの鈍ささえかまわなければ、大抵の英語の散文を読めるようになったと思う。十七世紀のイギリスの大哲人の書いたものを、三百数十年後に、日本の東北の田舎の少年が読めるようになったのだから、英語の授業というのは魔法の修得に似ていたと言える。
・・
比喩も一つ加えておこう。山奥の国で、・・将来のために水泳を学生に教えなければならないとしたら如何(いかん)。私ならまず体操を教え・・桶に水を汲んで顔をつっこみ、目を開く練習をさせる。・・」
と続き、次いで受験英語の話となる。英語は数学とともに大学における修学適性度をはかるのに最適の試験課目だと言い、「平泉氏のところには入学試験の時期になると、何とか息子を大学に入れる世話をしてくれという人が沢山押しかけるらしい。・・その場合、一番困るのは英語と数学である。・・英語が0点では頼む方も頼まれる方も困る。・・英語と数学さえ入試からはずせばあとはしめたものである。金さえ使えば、大抵の大学にはいれる。・・まことによく情実がきく。また一夜漬けがきく。また試験問題の漏洩(ろうえい)も簡単になる」
と話が意外な方向に発展する。
終章は、「最後に、これはあまり言いたくないのだが」という、妙な言い回しではじまり、「平泉氏は時々・・英語によって教育が喰い荒らされている・・というような発言をなさっておられる」と「平泉試案」にはない発言を紹介し、「これは危険な発想法である。・・廃仏毀釈の運動に連なる。・・日本人は・・偏狭なナショナリズムに傾き、大いに愚かになるであろう。・・」という文章が続き、結語として、「言語学をやっている畏友が、「平泉さんは実に知能が高いね」と感嘆していたことを、今更のように実感をもって思い出す。世の中の父兄は平泉案でやれば自分の子供も英語技能士であるような大学卒になれそうな気がするだろう。「そんな案は土台無理だ」と言えば無能な英語教師に見えてくるし、「それは英語全廃案にひとしい」と言えば被害妄想者に見えてくる。平泉試案が誠に高度に知能的にできていることに敬服する。」と締めくくられる。
一読して何を言いたいのかわかりにくいかも知れないが、渡部教授は事前に平泉氏からアレコレ話を聞き出し、反則攻撃も辞さない「勝利の方程式」を作成していたという。この第二論文執筆の背景を中心に、渡部教授は『英語青年』(研究社)の1975年9月号(34-35頁)に「平泉・渡部論争始末記」を書いている。
「この文部省で行われた協力者会議のメンバーとの話し合いは非常に有益であった。・・前々から直接平泉氏にお聞きしておきたいと思ったことをすべて聞き出したのである。・・警戒心のまったくない彼の談話から拾い取ることが出来た。「これでこの論争はどんなことがあってもこっちの勝ちだ」と私は内心雀躍(こおど)りするほどであった。
・・
平泉氏の反論はよかった。・・文字通りの反論であった。・・しかしここで平泉氏は反撃の時に、ボクシングの言葉で言えば、体を浮かしていた。私は次の反撃においては、アンダーブロー二つとバッティング一つを密かに用意していた。
・・アンダーブローもバッティングも誠に工合よく深々とはいったのである。」
たとえ話ではなくボクシングの場合なら、ロー・ブローや頭突きを意図的に行えば出場停止とかライセンス剥奪などの処分の対象になるかもしれない。それはともかく渡部教授の論争に賭ける姿勢が感じられ、周到な作戦があったことがわかる。そのことが論争に緊迫感を与え、読者を引き込むのに大きな役割を果たしたといえる。
続く『諸君!』7月号の平泉第二論文「明日の日本と外国語教育」は、日本の近現代史を振り返り、国際社会とこれからの日本の進むべき道、外国語教育のあり方を述べる。
同8月号は、鈴木孝夫教授を司会に「《激突対談》外国語教育大論争・終章」となる。そこでは
平泉 語学というものはモノにならなければしょうがない。
鈴木 渡部先生の・・お話には・・現状でいいのかという視点がありません
渡部 私立大学連盟で大学教育問題の検討をやっている・・語学教育は・・学生の知的訓練としては、他をもって替えがたきものだという現実認識がみんなにある
といった議論が進められる。
翌9月号は、渡部教授の「私の英語上達法――代案がないとの批判に応えて『具体的な改善策』」。
自身の高校時代のアメリカ映画を繰り返し見た話から、「語学の上では、その国に行って留学なり仕事をすることが決定的なので、それにくらべれば日本の中でやる実用語学などは吹けば飛ぶようなもの」という主張。また、ELECの『英語展望』最新号で平泉氏と鈴木孝夫教授の対談があったことに触れ、そこで話されている勉強法、新聞を徹底的に読むことの効用に対し、それですむなら「外国語大学や外国語学部など不要」と批判する。そして前号の<激突対談>で「実際英語がうまくなるにはどうしたらいいか・・一回分『諸君!』のために考えておったんですよ。」と述べていた渡部教授のとっておきの上達法を、栄養学の知見を援用して披露する。
「日の丸弁当の中の梅干一個は、その米飯の九十八パーセントを中和して直ちにエネルギー化すると言う。また百グラムの白米御飯を中和するのに、普通の野菜だったら百グラムから二百グラム喰べなければならないのに、梅干ならたったの一グラムでよいと言う。
・・この梅干とほぼ並ぶぐらいの超能力のある食品はワカメであるそうな。
・・学校文法などは強烈な酸性食品・・
先ず読む面で・・ワカメの役目・・語彙増強である。
次に話す面での梅干・・「心的態度(メンタル・アテチュード)である。
しかしここで間違えてはいけない。・・そもそも御飯が胃の中に入っていなければ梅干だけではエネルギーにはならないのである。いな、梅干ばかり過度に服用すると内臓を痛める危険すらある。」
大論争の最終回は『諸君!』10月号、平泉氏の「私説・語学学習法」。外国語学習への意欲を強調し、漢文や古典語学習と現代外国語の学習を区別して音声を重視し、暗誦や短文の作文、そして自分の経験から「ひとりごと」学習の有効性を唱える。最後に「平泉試案」が目標としている高校3年間の徹底訓練の到達レベルを現状の「高三」程度と明言する。それを完全に自分のものにしていることが重要なのだ、と。
平泉・渡部論争は「はだかの王さま」か?
『諸君!』1975年4月号にはじまった大論争は、長期にわたって読者の圧倒的な関心を呼ぶ。その原因は、一つには読者層の英語教育への高い関心であり、また渡部教授の興味深いエピソードの引用と読者を引き込む流麗な文章力にある。そして平泉氏は、自身の経験に基づく実践的外国語教育論をわかりやすく述べている。さらに渡部教授の仕掛けで「勝った・負けた」というゲーム的要素も加わり、読んでためになり、手に汗を握る一大バトルとして大きな反響を呼ぶ。
それでは英語教育論としてどういう評価になるのだろうか?
事の起こりの「平泉試案」は外国語教育の制度的改革案である。その骨子は、
1)現行の中学英語はやめて「世界の言語と文化」という教科を設け、あわせて中学一年程度の英語を外国語の常識として教える。
*大多数の人への外国語関連の教育はこれでおしまいとなる。
2)高校では一部の志望者を対象に徹底訓練を行い、現行の高校三年修了で目標としているレベルの英語力を確実に養成する。
3)全国規模の外国語能力検定制度を作り「技能士」の称号を設ける。
というものである。「平泉・渡部論争」ではこの改革案についての議論はほとんどなされていない。世間も注目せず、英語教育界も「得るものは最小で、失うものは最大の愚策」として無視し、自然消滅となっている。
平泉氏の考えを全否定する渡部教授の英語教育論については、納得はおろか理解もされず、「英語教育論以前の独断論」として問題にされていない。
この論争については、外国語を極めた達人同士の示唆と含蓄に富む模範的なディベートだという評価がある一方、無意味・無内容、しかも議論のすれ違う「空騒ぎ(からさわぎ)」という見方もある。
風評に惑わされることなく、「平泉試案」と「平泉・渡部論争」の英語教育論としての意義を考えてみたい。
参考文献:
平泉渉/渡部昇一『英語教育大論争』(文藝春秋、1975/文春文庫、1995)
平泉渉・鈴木孝夫「英語教育への直言」(『英語展望』1975年夏号、ELEC)
渡部昇一「平泉・渡部論争始末紀」(『英語青年』1975年9月号、研究社)
寺村繁「英語教育の前進のために」(『現代英語教育』1976年1月号、研究社)
池内紀『ことばの哲学 関口存男のこと』(青土社、2010)
(てらむら しげる)