奥住桂(帝京大学講師)
本体 2,200円
A5判 256頁
大修館書店
二十年の中学校教員生活を経て、現在は大学の教員として免許課程のいわゆる「英語科指導法」の授業を担当しているが、実は毎年そのテキスト選びに悩み続けている。1、2年目は、いわゆる「指導法」と名のつく書籍をテキストに選定した。当然コアカリキュラム等に沿って作られているので、シラバスにも対応させやすいのはいいのだが、広くて浅い感じも否めない。買わせたものの、どう活用すべきか迷ってしまい不完全燃焼だった。3年目の今年度は、もっと具体的に授業の活動や発問を考えるのに役立つ書籍をテキストとした。教材研究のヒントがいっぱいで、教員になった後も役立つ本だと思うのだが、学生に模擬授業をさせてみると、音読のさせ方とか板書の仕方といった、「基礎・基本」と呼ぶべき重要なスキルについて伝えたいことがたくさんあることに気づいた。そして再び、テキスト選びの深い森に迷い込んでしまったのだ。
そんな折に発売された本書を手に取り、いろいろ考えた。「指導の基本」と銘打つだけあって、そういった細かい指導技術についても詳しく書かれているようだ。これは面白そうだが、果たして「英語科指導法」のテキストとして活用できるだろうか。
書評執筆に際して(あるいは日頃から書評を読む際に)私が考えていることは、そもそも「万人に向けた書評」などというものは存在しないのではないか、ということだ。その本が、誰にとって、どんな目的に対して、「よい」のか「わるい」のかを書評に書くべきだろうと思っている。ある目的には「よい」けど、ある目的には「わるい」という本だってあるはずだ。だから、私が書評を書くなら、ちゃんと対象や条件を設定した上で書きたい、と考えていた。
ということで今回は、本書が「免許課程の英語科指導法のテキストとして」 どうであるかを評してみたいと思う。そのような書評にどれくらいニーズがあるのかはわからないが、こういった視点から英語教育に関する書籍を見つめることで、英語の授業そのものや、英語教員や教員養成に求められることを考える機会になればと願っている。
さて、まず本書に「書かれていること」と「書かれていないこと」を確認しておこう。
本書に手厚く「書かれていること」は、なんといってもOral Introductionの理論と実例である。1章は「授業組み立ての考え方」から始まるのだが、そこで示されているモデル案は、当然ながらOral Introductionや音読指導を授業の中心に据えたOral Methodに基づくものだ。個人的には、Oral Introduction(Interaction)の技術は、英語教師をしていく上であらゆるスキルの土台になると思うので、学生のうちにしっかり練習させておきたいと考えている。本書には、具体的な実例も多く載っているので、例えば2年生が履修する「英語科指導法Ⅰ」ではまずこのモデルを覚えさせて、見ないで実演するタスクを学生に課したい。その上で、3年生で履修する「英語科指導法Ⅲ」では自分で選んだ題材についてオリジナルの台本でOral Introductionをさせるといった段階的な指導をしたい。
また、個人的に面白いと感じたのは、「ノート指導」や「指名の方法」、「音読の回数」など、他では「語られていない」指導の具体が詳細に書かれていることである。「ノート指導」に関しては、大修館書店『英語教育』誌の拙稿でも、大学の英語科教育法の授業では紹介されることがない左に本文、右に和訳のノートづくりが蔓延しているという記事を紹介したが(2022年1月号)、本書ではこれについて「もっとも避けたい指導」(p.197)と喝破している。もちろんその理由も明確に示されているのだが、それらを読んでいると、細かい技術の裏にある著者(先達)たちの「思想」が見えてくる。これらは単なる網羅的な「知識」というより、熟練の教師の数え切れないほどの経験(失敗)に裏打ちされた「知恵」というべきものだろう。「左利きの生徒への文字指導」なんてことが書かれている本は数少ないと思うが、それが単に端なことではなく、多様な生徒を見つめる教師としてのやさしい眼差しがそこにあることを感じることができるはずだ。
一方で、「英語科指導法のテキスト」という観点で言えば、「書かれていないこと」も多い。一般的な英語科指導法のテキストには序盤に必ずある「指導法の変遷」や「学習者の要因」、あるいは「学習指導要領」といった章が存在せず、いきなり「授業組み立ての考え方」から始まる。もちろん章立てがされていないだけで、そういった内容はあちこちに少しずつ書かれているが、系統立てて書かれているわけではないし、そういった知識はかなり絞られていると言えるので、教壇に立つ以前に知っておくべきことは、別のところで学んできているという前提に立っている。「英語科指導法」のシラバスを念頭に置くと、そこは指導者がテキスト以外のところで学習する機会を提供する必要があるだろう。
もう1つ「書かれていないこと」を挙げるなら、やはり本書がOral Methodをベースとした授業のアイデアを提供しているため、それ以外の様々な指導法・学習法を提示し、相対化する役割が指導者に求められる、ということだ。Oral Methodよりも意味やコミュニケーションに重きを置いた指導法も存在するし、特定の文法項目にしばられない言語使用を指導・評価するのであれば、Oral Method以外の指導法もいつでも援用できるスキルを身につけておくべきだろう。(一応、本書ではいわゆる〔思考・判断・表現〕を意識したコミュニカティブな発展的activitiesも示されていることは書き添えておく)
そもそも、Oral Methodは、授業の出来が教師の力量によって大きく左右される指導法と思われるので、経験の浅い英語教師がこれを軸に授業を組み立てていくことにはそれなりの勇気も必要だろう。しかし、「英語科指導法」の授業で学ぶ教師志望の学生のこと考えると、本書で示されている様々な指導技術は、いかなる指導法を土台にしたとしても「授業をしっかりと運営する」 ために必要なものだと思う。ぜひ学生のうちに身につけさせて、磨き上げてあげたい指導スキルだ。
そういう意味では、本書は初任者研修などでも活用できるはずだ。教員の「研修」なるものが目指すべきは、まずはこういった基本的な技術が身についているかをきちんと見とる必要があると私は思う。免許更新制度の代替的なもので研修の履歴を管理するような話があるが、こういった基本的なスキルに関しては、研修を受けたかどうかではなく、そういったスキルが身についているかで判断されるべきで、そのためには指導する側(管理する側)がそういうスキルを系統立てて指導できる体制があるべきだ。
さて、このように、本書に「書かれていること」と「書かれていないこと」を勘案した上で、本書を「英語科指導法」のテキストとして採用するか否か。上述のように、「書かれていないこと」については、テキスト以外の資料で学生に示していかなければならないデメリットはあるが、元々今年度のテキストもその部分の記載が薄く、自作の資料を用意していたこともあり、私の場合はそこはあまり問題にならない。むしろ、私としては様々なOral Introductionの実例が載っているというところが魅力的で、学生がこれを覚えて自分の言葉として言えるようになるまで練習する「素材」として、本書を活用できるのではないかと考えている。だから、私としては「免許課程の英語科指導法のテキストとして」本書は 十分に「よい」と思う。
冒頭に書いたように万能な書評が存在しないのと同様に、万能なテキストなどというものも存在しない。その教師が授業で何を教え(何を教えず)、何をオリジナルな教材として準備して、何をテキストとして学生に持たせておきたいか、によって最適なテキストは変わってくる。私の場合、これまで、「板書の仕方」や「指名の仕方」などのスキルは模擬授業でのフィードバック時に伝えてきたが、それだと漏れもあるし、そもそも授業で予め指導してないことを模擬授業で試して評価しているように思われてしまうのも本意ではない。学生が知りたいと思えば「そういったことはここに書いてある」と伝えられるのは、授業者としてとても安心感がある。私がテキストに求めていることは、そういうことなのだ。
しかも、そういった指導スキルは、テキストを読んだだけでは十分ではない。やっぱり実際に見てみないとわからないし、もっと言えば自分でやってみないとわからない。もしかしたら、やってみても、他人から(教師から)指摘されないと(できていないことが)わからないものでもあるかも知れない。やっぱりそこを指導できるのが「授業」だと思うので、テキストで示したからそれで終わりになるものでもない。テキストと授業を行ったり来たりする中でいろんなことが学べて気づける、というのが「よい」テキストだと思う。もちろんそれは、「英語科指導法」に限らず、「英語科」の教科書そのものにも言えることだ。(残念ながらまだそういう英語科の教科書には出会えていないのだけど)
本書には先達たちの理論と経験に裏打ちされた確かな指導技術の実際が詰まっている。中には、他の英語科指導法のテキストでは、「指導法の変遷」の中のほんの数行で説明されていた指導や活動の例などもある。そういった指導や活動をただ「古い」と考えるか、「不易」と考えるかは読者次第だ。ただ、あの数行の行間にこれだけの知恵と技が詰まっているのだとすると、他の指導法も含めてしっかりと専門家から学んでみたいと思うし、指導法の変遷を語る際には、まだ見ぬ「新しい指導法」に向かってただ既存の指導法のデメリットを語るだけの授業はしたくないと思う。まず実際に声に出してみよう、実際にやってみよう、と思う。それこそが、本書が読者に、あるいは読者の指導対象である生徒たちに、訴えかけているメッセージなのではないだろうか。
(おくずみ けい)