新刊書評:『日本人のためのインド英語入門―ことば・文化・慣習を知る』 本名信行/SHARMA Anamika 著

三宅ひろ子(東京家政大学准教授)

本体  2,400円 
A5判 264頁
三修社 

 「インド英語の本を書いたよ。」

著者の一人である本名先生に初めてお会いしたのは,大学生の時である。私は,幼少期をフィリピンで過ごしたことから,フィリピン人が,アメリカ人やイギリス人とは違う英語を話す理由に興味を持っていた。自分なりに様々な文献にあたって理由を探していた時,その疑問に答えてくれそうな先生が,自分の大学にいることを知った。直接,学びたい。熱い想いをもって先生のもとに押しかけ,大学院の授業を聴講した。

当時,出版されたばかりの『アジアをつなぐ英語』(アルク新書,1999年)は,英語が国際言語の役割を担うとは,どういうことなのか,なぜ世界には多様な英語が存在しているのかを,社会言語学的な観点から論理的に説いてくれた。今でも,私にとってはバイブルである。Larry E. SmithやBraj B. Kachruの提唱した,World Englishes(世界諸英語)という言葉や概念を知ったのも,この本を通してである。

本が出版された1990年後半~2000年といえば,日本の内閣が金融市場の改革を進めるにあたり,“Free”,”Fair”,“Global”の3本柱を標榜した頃である。また,「グローバル化」という言葉が多用されるようになった時期でもある。そのような流れのなか,これからのグローバル化に備えて,日本人がどのように英語と付き合っていけば良いのかを指し示してくれているのも,先に示した『アジアをつなぐ英語』であった。

何が言いたいかというと,先生の本や言葉は,困っている人がいたら,もしくは,困りそうな人がいたら,タイミング良く手を差し伸べる,そういう愛情に溢れたものになっているのだ。

さて,本題へ。タイトルの「インド英語」という文字を見て,インドに住む予定はないから自分には関係がない,生徒や学生に教えているのはアメリカ英語やイギリス英語だから,インド英語を学ぶ必要はない,と考える英語教師は,今や少ないのではないだろうか。英語の国際化と多様化を敏感に読み取り,教育現場で何か生かせないものかと考え,既に,この本を手にしている教師は多いように思う。

私は日頃から,インド英語も含め,世界中の英語について情報を収集している。なかでも,仕事で英語を使っている日本人が,誰を相手に,どのような場面で,何に苦戦しているのか,といったことに関心がある。英語を教える私にとっては,仕事の現場の声は貴重であり,学生が卒業後に英語で困らないようにするためには,どうすれば良いか,を考えるための材料にもなる。

SNS上などでよく見かける書き込みは,「インド英語は難しい」というものである。訛りがあるから発音が聞き取れない,とか,早口でまくしたてる(ように聞える)英語と「格闘」しているらしい。たしかに,学校で使う英語のテキストの音声は,アメリカ英語やイギリス英語で録音されたものが多いので,高校や大学を卒業した段階で,インド英語に耳が慣れている,なんていう人は少ないのかもしれない。

そんな,あまり馴染みのないインド英語との付き合い方は,本書の構成が示してくれている。

まず,第1部「インド英語の万華鏡」では,インドでの英語の役割,英語観,英語教育,英語の特徴(音声,表現,文法)がまとめられている。第2部「インドのビジネス慣行とインド英語のビジネスレター」では,インド人のコミュニケーション様式が,ビジネスレターのサンプルとともに整理されている。第3部「インド英語に耳を澄ます」では,付属の音声でインド英語を聴きながら,インド文化を学ぶことができる。

本の構成が示唆するように,インド英語とうまく付き合うには,3つのポイント全てが欠かせない。(1) インド英語が生まれる背景を理解すること,(2) インド人のコミュニケーション様式を知ること,(3) インド英語をたくさん聴いて慣れること,である。はしがきで「どこから読んでもかまいません。面白そう,だいじそうと思うところから読んでください。そして読み切ってください。」(p. 3)と指示している理由は,そこにあるのだろう。

しかし,なんといっても本書の真髄は,第1部第7章「日本人と英語」(pp. 58-69)にある。インド英語の本なのに,インドのことばかりを一方的に学ぶのではなく,日本人が日本文化や日本人英語(ニホン英語)についても考える機会を与えてくれているのだ。先に述べた3つのポイントを押えただけでは,不十分である,と言わんばかりに,著者の本名先生とシャルマ先生は,読者に念を押す。

「日本人とインド人が出会えば,日本人はインドのことを聞き,インド人は日本のことを聞くのがふつうです。そこでお互いが自分の国の社会や文化のことを英語で話すようになります。ですから,日本人なら日本のことを英語でいえなければなりません。英語は情報の言語といわれますが,私たちが自国の情報を英語で伝達できなければ,なんにもなりません。外国の情報を受信するばかりでなく,日本の情報を発信することが求められます。国際コミュニケーションでは,こういった双方向の交流が期待されます」(pp. 59-60)

インド人がインド英語,日本人がニホン英語で話すと,相互理解ができないのでは,との不安はつきものだが,「それぞれの体系が依って立つ言語文化の違いから,お互いに理解しにくい表現に出くわす」(p. 65)ことは当たり前のこととみている。むしろ,理解できない時のマネジメント術が大事で,相手に質問したり,確認をとったりすることを促している。マネージした結果,うまくいった会話のサンプルもいくつか紹介されている。

私のお気に入りの例は,ムンバイに出張した日本人の三井さんと,インドの現地社員のRajさんの会話(pp. 65-66)である。Rajさんが,名前の後ろに “ji”と付けると,三井さんが,What does “ji” mean? (ジってなんのことですか。)と,尋ねる。 “ji”はヒンディー語で“mister”を指し,日本語の「~さん」にあたるのだが,これを互いに説明し合った二人は,最後に,Thank you, Raj ji.(ありがとう,ラージジ). Not at all. Mitsui san.(どういたしまして,三井さん)と言って,会話を終える。

知らない表現に出会った時に,質問するのを躊躇い,結果的に意味が分からずじまい,というケースは意外に多いのではないかと思う。しかし,この会話では,三井さんが思い切ってRajさんに質問することで, “Raj ji”,“Mitsui san”と呼び合う仲に発展している。あれこれ悩むよりも質問したほうが,却って相手と心を通わせたり,人間関係を深めることができるのではないか,と思わせてくれる例である。

微笑ましい日印コミュニケーションの例が続いた後は,より実践的な第2部へと突入する。インド人の世界観は一言で言い表せないが,(1) 時間と忍耐,(2) 階層と人間関係,(3) ロジックとプランニング,(4)習慣と感受性,の4つの視点で概観することができるという(p. 74)。日本人がインド人のマナーを「真似する」必要はないが,言動の背景にある 4つに目を向けなければ,日印ビジネスは成功しない,と強く感じられる章である。

第2部のビジネスレターのサンプルは,全部で22も収録されている。第1部の「インド英語の語彙体系」(pp. 29-43),「インド英語の表現と文章」(pp. 45-57),「インド英語の文法(pp. 51-57)などに書かれている特徴的な表現が,ビジネスレターの中ではどのように使われるのかを,随所,確認することができる。たとえば,礼節の表現の一つである “apprise us of (知らせる)”(p. 49)は,以下のように使用される。

サンプル4(pp.95-97) 

 “…. Kindly apprise us of your terms and conditions, if you decide to appoint us your sole agents. Awaiting an early reply.”

(御社が当社を独占的代理店として任命いただけるならば,御社の条件等をお知らせいただきたく存じます。迅速な返信をお待ちしております。)

第3部は,本書の目玉とも言える,インド英語のリスニング・プラクティスである。トピック自体が,すべてインドに関連しているため,インド英語を聴きながらインドのことを学べる,まさにインドづくしのセクションである。問題量も多く,トーク形式のリスニング問題(大問)が3題,ダイアローグ形式が8題,エッセイ形式が8題収録されている。穴埋め問題や内容理解問題など,種類もさまざまである。

興味深かったのは,Track 1の音声よりもTrack 2のほうが,Track 2よりもTrack 3のほうが,インド英語らしさが増していく点である。話し始めは,ややイギリス英語寄りの発音が聞こえてくるが,話す内容に集中して,発音への意識が薄れていくのか,次第にインド英語らしいイントネーションが強く出てくるように感じた。どの話者にも,同じ傾向が見られた。本音を漏らすと,トレーニングとしては,段階的でちょうど良かった。

さて,あまりの分量に,全部は解けまいと思っていたが,英語教師魂に火がつき,何日もかけて解いてしまった。初めは,弾音のr(turnをトゥルンのように舌先を口蓋で弾くように発音される音,p. 26)に苦戦したが,聞き取れる自信もついた。長年,英語教師をやっていると,「聞き取れない」経験や「聞き取れるようになる」体験が減ってきて,生徒や学生の気持ちを忘れがちだが,両方を味わうことができた。

この貴重な体験を通じて,改めて思い出したのは,大学院の授業で繰り返し聞いた本名先生の言葉である。「(英語を使った)異文化間コミュニケーションでは,英語変種に慣れることが大事なんだよ。慣れればどうってことないんだよ。」本書でも,「慣れ」という言葉は,キーワードとして頻繁に登場する。

・ インド人の英語に早く慣れましょう。そして,日印英語コミュニケーションを通して,お互いに多くのことを学び合いましょう。(p. 17)

・ まずゆっくりと聞いてみましょう。初めて聞く人はとまどいを感じることもあるかもしれませんが,慣れればなんのことはないのです。(p. 153)

・(聞き取りのポイント)ヒロシは日本人の英語だから聞きやすいでしょう。ラージは早口ですね。でも慣れてください。これについていければインド英語「なんのその」です。(p. 168)

・(聞き取りのポイント)もう慣れてきたので,だんだんと聞き取れるようになったでしょう。こういうわかりやすいものを何度も聞きましょう。インド英語を聞き取るためには,まずはインド英語の雰囲気に慣れることです。(p. 231)

慣れるまでには時間がかかって大変ですが,慣れればどうってことないですね,先生。

本書は,ここでは触れることのできなかった5つのコラムも合わせると,2~3巻ほどに分けても良いくらいの内容がおさめられている。タイトルには「入門」と付いているが,インド英語のリスニング問題や解説まで付いていて,贅沢な本(お得感のある本)である。これは著者の「愛情」。だから,何らかの理由で,インド英語について学びたいと思ったら,まずはこの入門書を一冊,読み切ることをお勧めしたい。

※それでも,まだ物足りない,他のアジアの英語についても知りたい,という場合には,『新 アジア英語辞典』(三修社,2018年)をお勧めする。

(みやけ ひろこ)