前田 昌寛(金沢星稜大学講師)
1 はじめに
英語教育は「金魚鉢モデル」(fishbowl model)と「大海モデル」(open seas model)に例えられてきた。Yoshida(2004)によると「金魚鉢モデル」とは,金魚がきれいな水の中で外敵から守られ,労なくエサが与えられるように,英語教育でも,教室内で教師が生徒に必要(以上)な知識情報が与えられ,学校(規範)文法に則った「正解か不正解か」にこだわる「コミュニケーションは不要」の指導法である。その一方「大海モデル」とは,大海原で自らが暮らすための水を探し,自らの食べ物を探さなければならない魚のように,「どの英語も通じ合うという特性」を持って,「違った文化を持った人間同士が,その違いをいかに乗り越えて互いにコミュニケーションしていくか」を問う考え方である(pp. 15-16)。前田 (2016) は,金魚鉢と大海の間に存在すべき「プールモデル」(pool model)の考え方を提唱している。学習者の発達段階に応じて水温や水深を調整し,時には沖に流される心配なく流れるプールのように本物らしい波を経験させられる「プールモデル」は,コミュニケーションを成功させるために学習における不安要素を低減化し,学習者が中心となって日常生活で実際に必要となる力をつけるために仲間と協働して課題を解決していく「疑似コミュニケーション」といえる。教える教師側にとっては,必要な「支援」の調整がしやすいモデルである。その「疑似コミュニケーション」の指導法として,ディクトグロスを本稿では取り上げる。
2 ディクトグロスとは
英語学習者にとって一度は経験あるのが,友人らからの「(英語を習っているなら)英語で何かしゃべってよ」という依頼ではなかろうか。何もトピックやインプットがない状態でアウトプットすることは難しいものである。英語学習者は,何らかのトピックやインプットがあり,そのトピックに関する背景意識や既有知識を利用したり,インプットから情報を取捨選択・再構成したりして,アウトプットしていく。ディクトグロスは,特定のトピックを持った音声をインプットとし,必要なことのみをメモに取り,メモを持ち寄った仲間と協働しながら,背景意識や既有知識を活用して,元の英文を復元していく活動である。前項で「疑似コミュニケーション」と述べたが,音声をインプットとして必要なことをメモに取り,あとで(頭の中で)復元するというアウトプットは,例えば授業を聞いてメモを取り,あとで復習したりほかの人に伝えたり,あるいは電話で話していてメモを取り,あとで内容を思い出したり伝えたりなど,日常生活の中でも自然と行っている行動であり,実生活で実際にしているコミュニケーション,あるいはコミュニケーションにつながる行動である。
3 ディクトグロスの手順
ディクトグロスに関しては,Wajnryb (1990)が有名だが,前田(2021)は日本人英語学習者に合う手順として,次の5つの「ステージ」とそれぞれの「ステップ」を提唱している。
ディクトグロスに用いる素材は,「内容的に既習」の英文を推奨し,教科書本文のサマリーを用いるのが最もよいと考えている。学習者が内容と言語形式(文法・語法)の同時処理をする負担を減らし,内容と言語形式を結びつける「フォーカス・オン・フォーム」の効果が発揮されるのである。
「内容的に既習」の定義について触れたい。教科書の英文は,「調理方法」を変えて,繰り返し扱うことで,総合的な英語力が生徒に身につくものである。前田(2012)は「ザルからトレーモデル」を提唱し,はじめは「ザル」のように「目の粗い」つまり概要に重点を置いた「気づき」を大切にする指導をし,そして段階を踏んで最後は詳細もしっかりと掴み,抜けの無い「トレー」で情報を受け止めるイメージの指導を提唱している。Unitのタイトルや写真を活用したブレインストーミングから入り,本文の朗読CDではなく内容を扱う対話的リスニング(または教師のオーラルインタラクション)を経て,文字指導へつないでいく。リーディングも(予習はさせずに)授業において初見で読ませ,教師の最初の発問は“Is it a good story?”や”Are you interested in this story?” 程度でよい。 “What is this story about?” と尋ねて,ペアでインタラクションでもよい。今度は「概要を掴む」という読みの目的を与えるためにTrue / Falseのように,生徒全員が気軽に参加できる発問を行って2回目の黙読に入る。そして,「詳細を掴む」ための5W1H-Questionや,推論を引き出す発問を用いて3回目の黙読をさせる。この答え合わせでは考え方の多様性が見込まれるので,対話的で深い学びにもっていく。しかしながら,どうしても内容の掘り下げ具合と,それらを表現する言語形式の指導や習得の具合が合致しないため,フォーカス・オン・フォーム指導が肝要となるのである。
【ステージ1】読み上げ回数については,3 回を標準とし,1 回目はメモを取らないで概要を把握させ2,3 回目でメモを取らせる。これは,包括的リスニング(global listening)と呼ばれ,まず話の概要や要点を聞き取ることが目標であり,何を聞き取るか,つまりディクトグロスで何をメモするかを自分で決めるプロセスである。高等学校新学習指導要領にある「全てを網羅的に聞き取ろうとするのではなく,必要な情報に焦点を絞って理解」(p.23)するのである。一般的には学習者のトップダウン処理を促すことになる。
【ステージ2】各自のメモを持ち寄り,元の英文を復元させるプロセスでは,生徒同士の教え合いがあり,学習者同士が「先生」になれるのである。「文法の正確さや話の一貫性を重視するが,原文そのものでなくてもよい」と指示することで,学習者たちは「ここってこういう意味になるはずだよね」「ここってこんな英語がくるはずだよね」と,互いに考えを話し合うようになる。「流れた音声英文との同一性」を求めると,学習者たちは原文と復元文の一致性しか話し合わなくなり,正解/不正解という視点だけでものを考えるようになってしまう。そして頃合いを見て音声をもう一度流すと,それまでざわざわと話し合っている教室が一瞬で静寂の空間となり,学習者の集中力が一気に高まるのである。この時の集中力たるや,本当に学習者たちは,前のめりになるほど集中して英語を聞くのである。なぜなら,それまでの段階で,もう一度聞きたい「ポイント」が絞れているからで,これは選択的リスニング(selective listening)と言われる。この選択的リスニングにおいては,必要な情報に焦点を絞って,課題の遂行に必要な情報だけを聞き分けることになり,必要でない部分は聞き取らなくてもよいので,リスニングのポイントを学習者に意識することにつながり,一般的には学習者のボトムアップ処理を促す。
【ステージ3&4】 原文を配布し,復元した英文と比較・分析させ,気づいたことや感じたことを書いてまとめさせる。「答え合わせ」ではなく「分析」と表現しているのは,「原文と言語形式の一致性」は問うてはいないからである。筆者の実践において,あるグループが“Why don’t you try a raw egg tomorrow?” と英文を復元していた。配られた原文には “Why don’t you try one tomorrow?” とあり,「気づいたこと」を書かせた欄には「意味から考えたら絶対にここはa raw eggが来るはずだと考えた。これをoneと置き換えられることに気づいた」と生徒らはコメントを残していた。多くの授業では先に,原文にあるoneを示し,「このoneは代名詞で使われているが何を指しているか」と指導するであろう。この学習者らは自分たちの話し合いの力によって,文脈から意味的に適合する語句をマッピングし,それがoneと置き換えられるという「新たな発見」をし,代名詞oneの機能・概念を形成していったのである。
【ステージ5】 コミュニケーションを目的とした言語活動中心の授業は,「何を宿題としてさせるか」が問題となる。授業が仲間と協働する言語活動中心となればなるほど,生徒は家庭で一人になったとき,何をすればよいかわからず迷ってしまうのだ。「授業では,授業でしかできないことをする」,「家庭では,生徒が一人でもできることをさせる」が原則である。授業で仲間と協働して課題を解決していく「疑似コミュニケーション」としてディクトグロスを行わせ,家庭ではひとりでもできること,つまり音声をもう一度聞いたり,原文を書写・音読させたりが適するだろう。
4 ディクトグロスの効果
(注)Class A =ディクトグロス6か月指導有り;Class B =指導なし
効果検証後は,Class Bにも同様の指導を行っている
①リスニング力の向上
リスニング力の向上には,トップダウン(概要の把握)とボトムアップ(詳細の把握)を使い分けるインタラクション処理が不可欠だが,ディクトグロスの実践によってこの力がつき,その結果リスニング力の向上に結び付いたと考えられる。
③英語の能力やノート・テイキング力とディクトグロスの出来の関係
英語の能力とノート・テイキングの能力(r =.298),英語の能力とディクトグロス(r =.346),ノート・テイキングの能力とディクトグロスの出来(r =.436)には相関関係があることがわかっている。英語力を更に細かく3技能(L/W/R)に分類したとき,表3より特にLとRとの相関が強いことがわかっている。表4より重回帰分析の結果,やはりLとRの能力の高さがディクトグロスの成功を支えていることがわかる。
表3
学習者の熟達度との相関 (N = 86)
表4
学習者の熟達度との重回帰分析の結果