国際教育研究所創立三十周年記念の回顧と展望

山岸 信義
国際教育研究所理事長

 国際教育研究所が母体である国際教育協議会に連なる英語教育の研究所として、羽鳥博愛先生が初代会長として創立されたのは、1991年10月1日であった。2021年10月に、創立30周年記念を迎える事ができた。そこで、創立30周年にあたり、過去の歩みを振り返り、今後の展望について書かせて頂く。

 国際教育協議会(COUNCIL OF INTERNATIONAL EDUCATION)は、1970年、CIEプログラムディレクター(国際エデュケーターの遠藤八郎氏)によって創立された。国際教育研究所(INSTITUTE OF INTERNATIONAL EDUCATION IN JAPAN)はこのCIEに併設されていた歴史がある。CIEの事務所は、東京都千代田区のJR市ヶ谷駅近くにある、市ヶ谷法曹ビル内にあった。CIEでは、新宿にある「三省堂文化会館」を会場として、毎年夏に、日本全国の英語教員を対象に、テーマを決めて「英語教育公開講座」を開催していた。この英語教育公開講座の講師陣は、その時代に活躍されていた先生方ばかりで、一例をあげれば、次のような先生方が、講師をされていた。

 外山滋比古先生、永井道雄先生、西山千先生、鳥飼久美子先生、田辺洋二先生、羽鳥博愛先生、吉田研作先生、堀内克明先生、本名信行先生、佐々木輝雄先生、斎藤美津子先生、上田明子先生、小川邦彦先生、奥田夏子先生、小池生夫先生、若林俊輔先生、大谷泰照先生、小島義郎先生、金谷憲先生、竹林滋先生、野上三枝子先生、他

 春には、同じ会場で、テーマを決めて、英語教員対象の研修講座として、上記のようなその当時の英語教育界の第一線でご活躍の講師陣が招かれて「新しい英語教師のためのワークショップ」が開催されていた。

 国際教育協議会(CIE)25周年記念で発行された「国際人育成を考えるー国際協議会のあゆみ」の冊子7ページには、CIEに併設されていた国際教育研究所の概要として、次のように書かれている。

1.言語・文化教育の根本は人間教育であることに留意しつつ、望ましい人間像、教師像を探求することを研究と研修の基本態度とする。
2.世界の一員としての日本及び日本人はいかにあるべきか、という根本問題の解決を目指しつつ、国際理解教育の具体策を練っていく。
3.会員の要望等をくみ取り、本研究所の目的によりよく添った活動をするように留意する。
4.国際的eventやservice情報提供などに参画し、我が国の国際化活動を直接推進する任に当たるなどの努力をする。
5.我が国の教育制度の枠にこだわらず、より高度な学問研究の成果を公に認定するシステムの開発・活用を積極的に行う。
6.会員相互の交流による自主的研究・研修を促進するため地域活動を行う。
7.以上のほか、教育技術研究に留まらず、人類がすべて共存共栄する明日の世界を築いていくために何をなすべきか等、「哲学する」活動を続ける。

 国際教育研究所では、以上のような活動を中心に、教師でありながら同時にグローバルな視野を持つ研究者を目指すための研究機関として活動が続けられ、現在に至っている。

 国際教育協議会(CIE)に、国際教育研究所(IIEJ)が併設されていた当時の活動内容の一つとして、英語教員対象の海外研修企画での一例を書かせて頂く。この研修では、当時の国際教育研究所の羽鳥博愛所長が、その研修のプログラム・コーディネーションを担当し、国際教育協議会が企画するものであった。旅行主催は、パックスインターナショナル(株)であった。この企画は、1992年から実施され、全国から多くの中・高の英語の先生方が参加され、大変、好評であった。私も2回ほど代表責任者として参加したことがあるが、ジョージタウン大学は、ワシントンD.C.の北西部にある1789年に創立された、アメリカのカトリック系大学では、最古の名門大学で、言語学と国際関係論は世界的に有名である。2週間の研修に参加された先生方からは、大変充実した内容の海外研修であったとの評価を頂いた。

 国際教育協議会が閉会となり、国際教育研究所が、独立した学会として誕生した経緯について説明をさせて頂く。平成10年頃から三省堂書店の経営悪化が原因で、新宿区にあった三省堂文化会館が売却された。その結果、国際教育協議会主催の英語教育公開講座の開催が出来なくなってしまった。平成12年(2000年)に、当研究所の母体であった国際教育協議会の業務終了に伴い、市ヶ谷法曹ビル2階にあった国際教育協議会の事務局に併設されていた国際教育研究所の事務局も撤去されたので、当研究所の事務局を設置する場所を失ってしまった。その後、国際教育研究所では、三省堂本社の会議室をお借りして、月例研究会を開催していたが、その会議室の使用も難しくなってしまった。

 日本英語検定協会様のご厚意で、2000年度から当研究所の事務局を、日本英語英検協会内に設置させて頂けるようになった。日本英語検定協会様が、2012年に公益財団法人へと移行となった後も2020年度までの20年間、事務局を英検協会様に置かせて頂き、大変お世話になった。

 2000年当時の国際教育研究所の羽鳥博愛所長は、日本英語検定協会の会長も兼ねていた。そこで、当時の国際教育研究所の役員は羽鳥博愛所長を交えて協議を重ねた結果、当研究所の事務局を英検協会内に設置させて頂く件で、日本英語英検検定協会様にお願いを兼ねてご相談をして頂く事になった。その結果、2000年4月から、日本英語検定協会様のご厚意で、日本英語検定協会の会長の部屋を、国際教育研究所の事務局として使用出来ることになった。当研究所の事務局設置に伴い、英検協会様の暖かいご厚意で、大小の会議室をお借りして、月例研究会や他学会との共催セミナー等を開催することが出来るようになった。しかし、2012年に、日本英語英検協会様が、公益財団法人になったことで、事務局として使用させて頂いていた部屋の賃貸料金の支払い義務が生じ、その支払いが困難となったので、事務局の部屋が使えなくなってしまった。当研究所で保管してきた事務用品や当研究所の保管物は、日本英語検定協会様が所有されているビル内の他の場所で、保管出来るご配慮を頂くことができた。当研究所宛の郵便物等は、日本英語検定協会様の総務部総務課内に、当研究所のLetter Boxを設置して頂き、そこを利用させて頂くことになった。日本英語検定協会様の暖かいご配慮で、総務部総務課に、当研究所との連絡窓口のご担当者をご配慮頂き、その方とご相談しながら、月例研究会や他学会との共催セミナー等の実施が可能となった。日本英語検定協会様には、国際教育研究所の賛助会員となって頂き、その年度の大小の会議室使用料金の総額を賛助会費として請求させて頂き、実質的に会議室使用料金の支払いが不要となるようにご配慮頂いたことにも感謝で一杯である。

 2019年度の後半から、コロナウイルス感染が、全国的に拡大する流れの中で、「ウイルス感染予防の観点から、英語検定の試験会場確保が困難となり、英検協会の会議室が英検の試験会場となった」とのご連絡を受けた。このことは、当研究所の月例研究会等で、会議室がお借り出来なくなったことを意味するので、当研究所にとっても存続の危機を迎えることになった。そこで、当研究所の理事長の立場で、日本英語検定協会理事長と連絡を取らせて頂き、当研究所関係者と日本英語検定協会関係者との緊急協議を開催することになった。その結果、20年間お世話になった日本英語検定協会内に、当研究所の事務局を置かせて頂く事が中止となった。その中止決定を受けて、当研究所の関係者との協議の結果、平見勇雄事務局長の勤務先である吉備国際大学の研究室内に事務局を移転することになった。

 以上が当研究所の過去30年に渡る主な流れの概要である。現在の当研究所の規約第三条にある目的条項には、「本学会は国際的に活躍できる人を養成するための言語教育・国際文化教育の向上を目指し、研究・研修及びその推進活動を行うことを目的とする。」と書かれている。当研究所では、この目的達成の為に、日本人英語教師の為のジョージタウン大学夏期英語研修、月例研究会・年次大会・他学会との共催セミナー・座談会・英語発音講座・英会話サロン等を実施してきている。月例研究会は、2022年度で第194回目となった。月例研究会では、国際教育協議会での流れを受けて、英語教育界の第一線でご活躍の先生方を講師としてお招きしての企画であった。ニュースレターは、2021年6月25日に、第85号が発行された。2021年11月30日には、国際教育研究所創立三十周年記念ニュースレター特集号が冊子で発行された。2018年11月28日には、当研究所発行の紀要第27号・28号が刊行された。2009年(平成21年)には、当研究所は、国立国会図書館 収集書誌部より、ISSN(国際標準逐次刊行物番号)が付与され、当研究所発行の紀要には、ISSN番号が付けれている。

 当研究所での30周年の歩みを概観させて頂いたが、現在は、長引くコロナ禍の影響で、授業の在り方が問われている。それに加えて、学校や子供の数が激減し、ICTやAIがどんどん学校現場に入り、教師の仕事にも変化が起こりつつある。このような時代の流れを受けて、当研究所では、今までの外部の講師を招いて、研修中心の活動から、時代の変化をいち早く察知して、現場教育で求められていることに心を傾け、教育や教師の課題について、月例研究会や年次大会では、30年間に渡って学会活動を積み重ねてきた今までの知見を活かして、今後は、会員主体の提言や授業実践発表が活発に行われることを願っている。これからは、英語教育においても、ポストコロナ期における新たな学びの在り方を考えていく必要があると思っている。