英語ディベートと私

宇佐美 修
栄光学園中学校・高等学校教諭

1. はじめに

 ディベートをどのように英語教育で扱っていくのか、各教育現場で模索が始まっていると思います。ディベートは、過去の私にとってもそうであったように、多くの英語教師にとって得体の知れない言語活動なのではないでしょうか。そのような先生方に「ヒント」や「きっかけ」となるような記事を、というお話をELEC通信編集部からいただきました。皆様に役立つ助言のようなものは書けませんが、自分の経験ならば書くことができます。ここでは、自分がどのようにディベートと出会い、英語教師として変えられていったかをお話ししたいと思います。

2. 学校英語教育の到達目標の再設定

 今から20年前、私は、音声面を大切にして英語授業を組み立てていたものの、スピーキング活動としては、音読やスピーチ程度が現実的な活動と考えていました。EFL環境では教室外での英語使用の環境や必要がありません。卒業後に状況が整ったときにスピーキング力を身につけてもらえればよい。中高の英語教育では、その素地を作ることに注力すべきだと考えていました。

 しかし、その考えを改めることとなる出来事がありました。あるとき生徒が英語ディベート大会を見つけてきて、仲間を集めて参加したのです。しかも、その大会で優勝して世界大会に参加をしてきました。その華々しい結果に少なからず驚きましたが、それ以上に衝撃を受けたのはその後の彼らの行動でした。

 大会が終わり、もう練習する必要がなくなった彼らが自主的に英語ディベートを続けていたのです。そのことを聞きつけた私は、生徒たちに頼んでその様子を見学させてもらいました。放課後に教室へ行くと、「捕鯨禁止」という論題でスピーチの準備をしていました。しばらくすると即興ディベートが始まり、深い分析を加えた議論を明瞭な英語で展開していきます。ディベート終了後、反省会が始まり議論を振り返ります。このような活動を放課後に繰り返していたのです。

 この見学で分かったことが二つあります。一つは、ディベートという活動が、少なくとも彼らにとってとても魅力的であるということ。そしてもう一つは、英語ディベートを続けることで、EFL環境であっても英語を使えるようになるということです。彼らの英語運用能力は私の想像を遥かに超えていました。自分の設定していた中等教育での英語教育の到達目標について考え直す必要を感じた瞬間でした。

3.「討論」や「批判的思考」を教える意義

 高い言語運用能力が身に付くかもしれないというだけでは、英語ディベートを教育活動として採用する理由としては不十分でした。ディベート(討論)、それに必要なクリティカル・シンキング(批判的思考)には、マイナスのイメージがあります。もし、ディベートが「信じてもいないことをペラペラしゃべって相手を言い負かしたり、うまいこと言って言いくるめたりする」活動だとしたら、その活動を生徒にやらせたいと考える教員はいないと思います。ディベートそのものが価値のあるものなのか見定める必要があります。

 この得体の知れないディベートを理解するために様々な本を読むなかで、ディベートが筆者の勤務校で大切にしている “Men for Others, with Others” に通じるものがあることに気づきました。批判的思考を身につけることが他者のために行動することにつながっていることを、以下の引用部分で確認できたのです。

Although irrationality plays a significant role in human life, human beings are in principle capable of thinking and behaving rationally. Humans can learn to respect evidence even though it does not support their views. We can learn to enter empathically into the viewpoint of others. We can learn to attend to the implications of our own reasoning and behavior. We can become compassionate. We can make sacrifices for others. We can work with others to solve important problems. We can discover our tendency to think egocentrically and begin to correct for that tendency. (Richard Paul, Linda Elder, “Critical Thinking: Tools for Taking Charge of Your Learning and Your Life”)

 批判的に考えること、ディベートをすることは、自分の見解とは違ってもその立場に立って想像力を働かせて丁寧に問題を分析し、相手と一緒にその論題についての理解を深めていく共同作業をすることとなります。それが「思いやり(compassionate)」や「他者のための犠牲(sacrifces for others)」につながっていくというのです。言語習得を超えた言語教育の射程、すなわち英語を上手に使えるようになることを超えて英語をどのように使う人に育って欲しいのかということをより意識するようになったのです。

 少し話はそれますが、ディベートで「信じてもないことを話させる」ことを心配する一方で、自由英作文などで「嘘でもいいから書けることを書きなさい」と指導したりします。この自由英作文での指導は、英語力を測るテストで力を示すためには妥当なのかもしれません。ただ、ディベートと出会い、生徒たちに言語をどのように使うようになってほしいかということを考えるようになると、「嘘でもいいから…」という指導は私の選択肢からなくなっていきました。

 生徒たちが他人の立場も理解しながら丁寧に考えることのできる人に育っていると実感する瞬間がありました。ある年の英語ディベート全国大会終了後に、帰途につく貸切バスの中で、ある生徒が全員に向かって「今回の大会では原発廃止が論題だったけど、実際のところみんなは廃止に賛成、それとも反対?」と問いかけたのです。その問いをきっかけに、チームや勝敗を超えた未来についての語らいがバスの中で広がっていきました。自然に議論する高校生たちの声に、静かに感動していたことを覚えています。

4. 学びのコミュニティーの形成

 英語教員の私たちが、もし生徒たちの学ぶ力を過小評価し、彼らに挑戦する機会を提供できていないのだとしたら、それはとても残念なことです。多くの学習者が、この機会を潜在的に待っているのではないでしょうか。英語教育に関わる一人として、彼らにディベートを届けなければならないと考えるようになりました。

 長年ディベート教育に携わっていらっしゃる東海大学の綾部功先生にご協力いただき、神奈川県高等学校英語ディベート推進委員会を発足させ、ワークショップ、練習会、大会などを運営してきました。発足して数年は三校程度の参加でしたが、現在では参加校は十数校に増えています。

 ディベート普及活動で大切にしてきたのが「尊重すること」です。初めてディベートを経験する人を含めて参加した全員が、たくさん失敗して学んでいくのをみんなで支え合える、そんな安全な学習の場を作る必要がありました。「相手への尊重」を強調することで、例えば、初めてディベートをする生徒が何を言っていいか分からずに立ち往生したときに、相手チームの経験ある生徒が話しやすくするために簡単な質問をするということも起こります。ディベートは仲間がいて、相手がいて、ジャッジがいて初めて成立する活動です。言語学習は個人的な営みという側面が強いと思いますが、ディベートは、コミュニティーとして言語を使いながら学んでいく貴重な場だと思うのです。

 このコミュニティーのもう一つの特徴は、「惜しみない共有」です。ディベートに関わり始めたころ、準備型ディベートの練習試合で「自分たちの用意している議論を本番まで隠すほうが良いのではないか」という質問をしたことがあります。しかしその選択肢は、結果的に成長につながらない道だと教わりました。大会でもワークショップでも、ジャッジや講師として協力してくださる方々が、その経験と知識を惜しみなく共有してくれます。それが教える側も教わる側の成長につながるからです。生徒たちもお互いにフィードバックをします。この繰り返しが学びを広げ、深めていくのです。

5. ディベーターとしての学び

 生徒たちが夢中になり成長している姿を見て、自分もディベーターとしての経験を積みたいと考えました。当時、教員になりたてで英語ディベート経験の豊富な河野周先生(聖光学院)に誘ってもらい、ESUJの主催する社会人練習会に参加しました。初めてのディベートではとても緊張しました。論題が発表され、立論の準備をします。十分に準備できないままスピーチを開始。5分話すつもりが2分少々で用意していた内容を話し終えてしまいました。言葉として出てきたものは少なかったのですが、脳はフル回転。準備時間を含めて、あらゆる力が試されるそれまでで最も濃厚な英語活動となりました。

 試合が終わるとフィードバックをもらいます。色々と指摘していただき、次はもう少し上手に話したいと思わされます。その思いがディベートを経験するたびに更新されていくのです。月に一度のペースで練習会に参加し、その間に自分なりに準備をするようになりました。

 ディベートを始めると、論題となりうる様々な社会問題が気になるようになります。どんな分野の問題についても分析できるようになるために、経済学や法学などの基礎をMOOCなどで学びました。大学のディベート世界大会のスピーチ動画を見て、ゆっくり明瞭に話すことの大切さを感動を持って学んだりしました。英語力を磨く楽しさ、英語を使って学ぶ楽しさを味わい、放課後にディベートを続けていた生徒のことを体験を通して理解できるようになりました。

6. 最後に

 教員になりたての自分と今の自分を比べると、予測をしていなかった方向で成長したと感じています。私にとって幸運だったのは、ディベートとの衝撃的な出会いが与えられ、それまで信じていたものを見直し、未知のものに向き合わざるを得ない状況が与えられたことです。生徒から学び、調べて学び、専門家から学び、経験して学ぶことで英語教師として大きく変えられてきました。

 教師にとって、学び続けることは大変なことですが、必要なことだと思います。「生徒から学び、調べて学び、専門家から学び、経験して学ぶ」というやり方は、教員の学びの方法として一般化できると思います。ディベートについてはある程度学べたとしても、英語教師としての課題は尽きることはありません。次はもう少し上手に教えられるようになりたいと思うのです。学ぶ楽しさを感じつつ、これからも少しでも成長できればと思っています。

 これを読んでくださった皆様にとっても、大きな出来事であれ小さな出来事であれ、教師としての自分の実践を見直す機会に遭遇することがあると思います。その機会をどうか大切にしていただければと思います。それまで大切にしてきたことを再確認することもあるでしょう。未知のものに挑戦しようと勇気を振り絞る場面もあるかもしれません。その道のりをどうか存分に楽しんでいただければと願っております。

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1. Debate Speech | WUDC Thessaloniki 2016 Finals – THB that the world`s poor would be justified in pursuing complete Marxist revolution.
https://justseoyouknow.com/2018/03/08/thessaloniki-wudc-2016-final/
大学のディベート世界大会の決勝戦の映像。True Artist of the Debate とも称されるBo Seoによる試合最初のスピーチは必聴。

2. Podcast | Intelligence Squared
https://www.intelligencesquaredus.org
Civil Discourse としてのディベート。専門家たちによる現代の様々な問題についての議論が聞ける。3.MOOC | EdX “Framing :

3. Creating Powerful Political Messages
https://www.edx.org/course/framing-how-politicians-debate
Victims, Villains and Heroes の説明や Daycare Director の具体例など Framing にいて分かりやすく説明している。