★シリーズ:教員研修のススメ Vol.3★
吉崎 理香
富山大学人間発達科学部
附属中学校教諭
1.現場より
教師の日常は慌ただしいものです。ただでさえ多忙なのに、研修が入るとますます身動きがとれません。研修の大切さや研修を受けさせてもらえる有難さは分かっていても、つい「この研修がなかったら、あの仕事ができたのにな・・・」という気持ちが湧き上がってくる時もあります。読者の方々は私のような不謹慎なことを考えられたことはないかもしれませんが、ご自身が年間におよそ何回研修を受けられているか、数えてみたことはありますか。その中で、印象に残っている研修、あの研修は本当によかった、というものはどのような研修でしょうか。
教師自身が学び続けることは重要です。ただ、私自身、日々生徒と接しながら自己研鑽を積んでいる先生方の様子を見ています。日々の授業が教師の学びにそのまま繋がっているのに、なぜわざわざ研修の機会をもつ必要があるのでしょうか。本稿では、英語科教師のための研修の意義についてお話ししていきたいと思います。
2.「会いたい人に会いに行きなさい」
私自身の経験からお話しします。私は転職をして30歳で教師になりました。教師になった動機は曖昧で、故郷の富山で子育てしながらできる仕事に就きたい、それまでの仕事で少しばかり英語を使っていたから英語教師で、という程度のものです。英語教育について本格的に学んだこともなければ、こんな授業をしたい、という強い思いもありませんでした。そんな風でしたから、当然授業に悩みました。勉強会や研修会への自主的な参加という発想もなかった私は、同僚の授業を真似たり、本屋で授業改善のためのハウツー本を買い漁ったりしました。あっという間に初任校での4年間が過ぎ、現任校に転任となりました。
転任して2ヶ月、年1回の研究協議会で公開授業をすることになりました。私は必死で指導案を作成しました。そのトライ授業をしていた時、授業を見にきてくれていた先輩の数学教師に言われた言葉は私には衝撃でした。授業直後、「吉崎さんは一体何をやりたいのか、さっぱりわからない。指導案を見なくても、良い授業は廊下から5分間生徒の顔を見ていればわかるものだよ」と言われたのです。悔しくて涙が出ました。しかし、正直、言われた言葉の意味はよくわかりませんでした。よくわからないものの、授業を変えていかなければと強く感じました。英語科の先輩教師に指導をもらい、教材研究に明け暮れ、書籍や論文を読み、各地の公開授業を参観しました。講義や発表を聞く研修会にも参加しましたが、私は公開授業を元に協議する方が生徒の姿の具体があり、自分に向いている気がしていました。
教師10年目くらいには、なんとなく自分の授業のスタイルが出来上がった気がしていました。テンポよくメリハリのある授業、バックワードデザインで組み立てられた綿密な指導計画で生徒の英語の成績は上がりました。私は、カリスマ性のある教師ではありません。だからこそ、教師の個性が光る授業より、誰でも実践できる授業スタイルを確立したかったのです。
授業の外枠が固まり安定してくると同時に、私の中で「何かが違う」という焦りが出てきました。授業自体に大きな落ち度はなく、成果も出ています。しかし、何かが違うのは、授業者である私が一番感じているのです。この時、記憶の中で薄れつつあった、あの言葉が蘇ってきました。「授業で何がしたいのか?良い授業は生徒の顔を見ていればわかるものだよ。」という先輩の言葉です。私の授業は、私自身が学んだ指導法を盛り込み、つぎはぎした実験室だったことに気がつきました。生徒は忙しく活動し、私自身も次から次へと授業を展開することに夢中で、生徒がどんな時にどんな表情をしているのか記憶にありません。生徒の発言は覚えていますが、それは次の授業展開に繋げるためで、誰がその発言をしたのかは覚えていられないのです。焦りました。これではダメだ、と思いながらも、ではどうすればよいのか、がわからないのです。そんな鬱々とした日々を1年あまり過ごす中、当時宇都宮大学附属中学校で教えておられた田村岳充先生のことを知ったのです。田村先生が執筆されたものを読んだ時、「この方の指導観や授業観には惹かれるものがある」と感じていました。ちょうどその時、私が授業の方向性について悩んでいたことを知っていた同僚が、「会いたい人に会いに行けばいいんじゃないの?」と言ってくれました。この言葉に背中を押されて、私は田村先生に普段の授業を参観させてほしいと連絡を取り、快く承諾していただきました。そして、この田村先生の授業との出会いが私にとっては大きな変化のきっかけとなりました。この出会いから、5年の歳月が流れました。私の授業が現在どんな風になっているのかは、また別の機会にお話しすることとして、話題を研修に戻したいと思います。
3.ELECの研修
田村先生も講師のお一人であるELECの英語教育研修会をご存知でしょうか。その講座と講師陣は非常に充実しています。私自身、様々な研修会を受講してきましたが、ELECの講座内容は他のセミナーや研修会とは一線を画しています。ELECの研修担当者の方々の熱意には本当に驚かされます。よく「ELECの研修を受けてみたいけど、受講料がちょっとお高くて・・・」という声を耳にします。しかし、一度参加してみてください。受講料以上のものを得られるはずです。さらに、私が毎回感銘を受けるのは、受講者の方々のアンテナの高さと熱心さ、そしてその多様性です。みなさん非常に勉強しておられ、授業と生徒のことを真摯に考えています。最近はコロナ禍でオンラインでの研修となり、より多くの地域からの参加者が増えているようですが、以前より全国各地から異校種の先生方が集まり、情報交換をしたり、教育観を話し合ったりするELECの研修会は参加するだけで元気がもらえる貴重な出会いの場でもあります。
4.研修講師の立場から
私自身、研修講師をさせていただいてもいます。私が講師として登壇するとき、自分の指導の実践例を映像でお見せし、参加された先生が生徒の立場になって経験してもらうワークショップの形式をとることが多いです。参加者の先生方の反応から私が学ばせていただくこともたくさんあります。私は現場の一教師で、自分の授業が他の実践より優れているなどと考えたことは一度もありません。私自身、授業実践を通して学び続けているのです。そして授業研究はいつまでも終わりのないものです。終わりがなく、深く広いものだからこそ楽しいのです。ここでは、研修講師の立場から、読者のみなさんに2つのことをお伝えしたいと思います。
1つめは、まずは研修に参加してみる、ということです。週末も部活動指導や家庭での役割がある先生方にとって、貴重な時間を割いて自主研修や勉強会に参加するというのはハードルが高いものです。そんな余力も時間もない、とつい思ってしまいますが、思いきって外に出てみましょう。普段なかなか関われない異校種の方々や同じように悩んでいる仲間に出会うことができます。そして、研修講師との出会いがあります。これらの出会いは、書籍を読んでいるだけでは絶対に得られない、教師としての成長の糧となります。私は研修講師として、参加していただいた方々とのつながりを大切にしたいといつも考えていますし、研修での一番の目的は教師としての指導観を伝えることだと思っています。指導技術の切り売りをすることに意味はないと考えています。
2つめは、研修に参加するときには、1つでよいので具体的な問いをもつことです。例えば、「生徒がもっと意欲的にやり取りができる授業を作るにはどうすればいいのか」などです。自主研修に参加される時点でコースや内容を選択するはずですが、さらに具体的に、という意味です。普段のご自身の授業を振り返り、自ら問いを作るのです。実はこの過程がとても大切で、この過程を経ることがすでに研修を受ける意味の50%程度を占めるのではないかというほどです。英語教師の担当授業数は他教科と比べても多いです。普段は、授業でしっくりいかないところがあっても、じっくりと考える時間もありません。しかし、いわば喉に刺さった小骨のような部分が、実は授業改善の第一歩となることも多いのです。この課題意識をもって研修に参加されると、講師の話の聞こえ方が違ってきます。「なるほど、そういうことか!」と思う部分もあれば、「それはちょっと無理なのでは?」と思う部分もあるでしょう。研修の後、もっと聞きたいことも出てくるでしょう。研修講師としても、質問や感想をもらえるのは本当に嬉しいことです。限られた研修時間の中では、どんなに工夫しても伝えきれないことが出てきます。参加してくださった方々のニーズに応えられたか、応えられなかったら個別にでも応えたい、と考えているものです。私の場合、言葉で伝えきれない部分が出てくると、どうしても「授業を見にきてほしい」という気持ちになってしまいます。
この課題意識をもって研修に参加するということは、研修を受けた後の受講者の方々の日々にも違いを生みます。誰でも研修を受けた直後はモチベーションが高いものです。ところが、いざ日常の勤務に戻ると、授業以外の生徒指導や分掌業務、担任業務などに時間の大半を費やし、いつしか研修で得た学びも記憶から薄れていってしまいます。課題意識をもって参加されると、研修を受けている時点で、すでにご自身の授業へのアレンジが頭の中で始まります。私自身は、授業はある日ガラリと変わるのではなく、授業者が課題と感じている部分に少しずつ工夫を加えていく過程でその授業者の指導観が形成されていき、授業全体が改善されるのだと考えています。ですから、1回の研修で学んだことをご自身の授業にアレンジして実践し、結果として得た変化を分析して課題を新たに発見し、次の学びに繋げるというサイクルができてくると、授業は改善されていきます。そしてこの過程は私たち教師にとって、とても楽しいものです。
5.学び続けるということ
英語教師として16年、最も私の授業に影響を与えてきているのは、生徒達です。授業中の生徒の反応、表情、言葉、そして3年間の成長の軌跡は、授業改善への原動力です。私の講座の土台は授業実践、そして生徒から学ばせてもらったものです。特に現任校での日々で、授業の主役は生徒であり、教師は授業のファシリテーターであるという授業の核を教えてもらいました。ある時、卒業生が遊びに来て、何気なく「高校に行って初めて英語って暗記科目なんだって気づいたよ」と言ったのです。つまり、中学校では授業の中で、ひたすら使っているうちに覚えてしまっていたということなのだそうです。一人でも多くの生徒に、英語で自己表現する楽しさを感じてほしいと授業作りをしている私にとっては大変意義深い言葉でした。
昨年度から私は津田塾大学の修士課程に在学しています。実践を支える理論を体系的に学び直したいと考えたからです。津田塾大学は現職教師が休職しなくても学べるオンライン課程を実施しています。おかげで、普段通りに授業実践しながら地方に住む私も学ぶことができるのです。フルタイムで勤務しつつ学ぶことは簡単ではありませんが、改めて学び手の立場に立つと、生徒の気持ちが痛いほどわかります。そして、教師である自分自身が学び続けることが、生徒に対する精一杯の誠意であると共に、その学びを生徒に還元したいと考えています。修士課程の入学には周囲から色々なご意見をいただきました。多くは、「今さら?」という声です。しかし、遅すぎる学びはありません。思い切って学びの機会を掴みましょう。
6.いつも受講者のみなさんとともに
本稿では、研修の意義は何か、と共に、教師が学び続けることについてお話ししてきました。私の講座では、研修の最後に必ず質疑応答、リフレクションの時間を設けます。学びは一人で完結するものではありません。そして、学びの共有こそが研修の意義でもあります。
私の研修に興味をもっていただけたなら、ぜひ一緒に学び合いませんか。