下村勇三郎先生のこと(追悼の記)

金枝 岳晴
東京学芸大学附属竹早中学校教諭
ELEC同友会英語教育学会理事長

ELEC(当時の名称:日本英語教育研究委員会、英語名:The English Language Exploratory Committee)が創設されたのは1956年7月27日のことである。そしてその翌年、1957年8月5日から24日までの3週間、当時の新聞が「アメリカ留学3ヶ月に匹敵する」と書きたてた現職教員研修、Summer Programが行われた。この第1回Summer Programの受講者のひとりであったのが、下村勇三郎先生である。

 下村先生はこのSummer Programについて次のように書いている。

 11時20分からの50分間、ちょうど昼食前の時間のことである。受講生を約半分に分けて、外人のinstructorによる音声訓練、文型練習の時間があった。

 (中略)われわれ受講生は、いい年をしてと思うくらい、大きな声で徐々に上気してくるのが分かる。おまけに、当時の東洋英和の教室は冷房などない。そして、真夏の昼前である。心身ともに異常になってくるのは当たり前である。

 そうこうするうちに、一人の男性受講生、Y君が鼻血を出した。頭を上げたりして、紙で拭いている。皆気付いているのだがどうしようもない。やがて鼻血は止まったが、その時も、後になっても、英語を学ぶということはこんなにも大変なものか、また、20歳台の青年教師が、そのくらい大きな声で繰り返さないではものにならないのかと感じたものである。いつまでも忘れられない、厳しいトレーニングの時間だった。

 このサマープログラムが済んでからの英語教師としての50年、英語を学ぶための訓練の厳しさは、中学生を相手にしても一度だって失ったことはない。そして、その後研究会等で、若い先生の授業を見て、一言二言、言う感想が「厳しい」、「きつい」と言われるのは、このときの音声訓練の体験がどうしても頭をもたげるからだろうと、一人思っている。(「ELECの誕生とサマープログラム」、ELEC同友会英語教育学会刊行『創立10周年記念誌』)

 私はELEC同友会英語教育学会のビデオによる授業研究会で何度か自分のつたない授業を発表させていただいたが、そのたびに下村先生から多くのアドバイスをいただいた。下村先生のアドバイスを「厳しい」と感じたことは一度もない。そのどれもが、真剣に改善に取り組むべき私の課題だったからである。

 あるとき下村先生が講師を務める研修会で、「『良薬は口に苦し』とはどういう意味か」と私たちに問うたことがあった。先生は「『良薬は口に苦し』には色々な解釈があるかもしれないが、『その人のためになる忠告は、耳に痛く響くものである』」と教えてくださった。下村先生ご自身は、若い先生へのアドバイスを「厳しい」と取られることを気にされていたのかもしれない。しかし、下村先生のアドバイスで気を落とした方はいなかったと思う。それどころか、先生のアドバイスから“元気”をいただいたと思う。

 下村先生は多くの方から慕われる方だった。先生はいつもまわりの人を元気にする方だった。先生は、時にユーモラスで、チャーミングで、茶目っ気があった。初対面の方と話されるときは、わざとその方の名前を何度も呼び、名前を覚えてしまう。次に会ったときに「○○先生」と声をお掛けになる。下村先生とのお酒の席はいつも楽しい場であった。

 下村先生は前掲書の中で「私が、英語教育なるものを火種として身につけたのは1957年のことである。そしてそれは、私にとってはELECであり、日本におけるオーラルアプローチであった。ELECが創立したのは1956年であるが、その誕生の諸々のことや、その後の経緯などは後に譲るとして、何よりも私にとって切っても切れないものとして、ずっと継続して今日に至ったのはELEC同友会の存在であった」とお書きになっている。

 ELEC同友会(現:ELEC同友会英語教育学会)は当時のSummer Programの受講者たちが、受講後も現場に戻ってオーラルアプローチの理念に基づいた英語教育を実践し、互いに啓蒙し合うと共に、一層の友好の輪を広めることにねらいを置いて1962年に設立された。下村先生はこのELEC同友会になくてはならない大きな存在であった。ELEC同友会は1995年にELEC英語教育協議会から独立したが、この時の下村先生のご尽力がなかったら、今のELEC同友会英語教育学会はなかったと言っても過言ではないと思う。

 当時副会長でいらした下村先生は、1997年に「オーラルアプローチ研究部会」を立ち上げた。「ELEC同友会からオーラルアプローチの灯を消すな」という思いでいらしたであろうと推察する。下村先生は部長として私たちにさまざまな資料を提供してくださったり、オーラルアプローチに関わりのある方たちの講演会を企画されたりした。オーラルアプローチについて先生から教えていただいたことは、今の私の大きな財産である。

 下村先生は1999年–2004年にELEC同友会の会長を務められた。そしてこの1999年8月にはSummer Programを受け継ぐ夏期教員研修会がSummer Workshopとして再開された。このSummer Workshopにも下村先生は講師、アドバイザーとして参加してくださった。このSummer Workshopでうかがった下村先生のパタンプラクティスの講座は今でも忘れることのできないものである。

 下村先生は仲間と楽しくにぎやかに過ごすのが好きな方だった。先生は阪神タイガースのファンでいらしたが、タイガースが優勝したときには、竹早中学校の近くの居酒屋にカセットプレーヤーを持ち込み仲間と一緒に「六甲おろし」を歌ったりする方だった。その反面、ご自身のことやお考えを華々しく周囲に話したりすることはされない方だったと思う。やがて先生はご高齢になったこともあって、ELEC同友会英語教育学会の行事にもお姿を見せないようになった。私は先生にご連絡を差し上げて「お元気ですか」と聞きたかったが、なぜかそうすることが憚られた。先生の訃報に接し、もっと色々教えていただきたかったと今となっては悔やまれる。先生に感謝の念を捧げると共に、心からのご冥福を祈りたい。

《下村勇三郎先生略歴》
1930(昭和5)年8月8日、茨城県生まれ
1954年、東京学芸大学教育学部英語科卒業
1957年、ELEC第1回Summer Program受講
1967年、東京学芸大学附属竹早中学校着任
1968–69年、フルブライト教員留学生としてテキサス大学に留学
1987–89年、東京学芸大学附属竹早中学校副校長
1989–2001年、日本橋学館短期大学
2001–08年、日本橋学館大学
2019年6月4日、逝去(享年88歳)