東京で「北斎とジャポニスム」展が開催されている。葛飾北斎(1760-1849)といえば、「冨嶽三十六景」などで有名な江戸時代の浮世絵師であることは、教科書にも登場するのでよく知られている。しかし彼が1999年にアメリカの『ライフ』誌の企画「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に日本人としてただ一人、86位に登場した世界的な著名人であることを知る人は少ないかもしれない。ちなみに上位5名は、エジソン、コロンブス、ルター、ガリレイ、ダ・ヴィンチである。
なぜ北斎がそれほど高い評価を得ているのか。その理由は、彼がモネやドガといったフランス印象派の画家はもとより、広く欧米各地の絵画、版画、彫刻、ポスター、装飾工芸などに大きな影響を与えたからである。
影響といっても、北斎と西洋の画家たちとの間に個人的な接触があったわけではない。彼の作品が西洋に大きな影響を与えたのである。その陰には、19世紀の前半に彼の作品の価値をいち早く見抜いて購入し、それを西洋に持ち帰ったシーボルトのような人物がいた。さらに開国後の1860年代からは、パリ万国博などを通して多くの西洋人美術家たちが日本の美術に触れ、それまでの伝統的な西洋美術には見られなかった北斎の斬新な題材や表現方法に衝撃を受けて、その手法を積極的に取り入れようとしたのである。
北斎の描く人物画には、身近に存在する普通の人のごく日常的な動作の一瞬をとらえたものが多い。描かれることを意識したり、行儀よくポーズをとったりする人物画ではないのだ。その点でキリスト教の影響下にあった西洋絵画の伝統とは大きく異なる。その影響を強く受けたのがドガである。彼の描く踊り子たちは無心に踊りの練習に打ち込んでいる。その何気ないポーズは、それまでの西洋画には見られないものであった。
身体の運動に注目した画家の筆頭格はロートレックである。彼がキャバレーのポスターに描いた踊り子たちは、足を高く蹴り上げてスカートを翻している。その躍動感あふれる動作は、北斎が画学生のための絵の教本として発表した『北斎漫画』から着想を得たものと言われる。
北斎はまた、風景画や花鳥などあるがままの自然を生き生きと描いた。自然より人間を上位におく西洋では、風景画は単なる背景にすぎず、動物や植物も絵画の主題にはならなかった。しかし、北斎に限らず日本人は人間を自然の一部とみなしてきたのであり、そこに西洋にはない日本人の美意識や自然観が表現されているのだ。北斎の描くあるがままの自然に触れたモネは、自宅を北斎のコレクションで埋め尽くすほどの強い影響を受けた。そして静物画(死んだ自然)ではなく、生きている自然、つまり杜若や菊、睡蓮などを好んで描いたのである。同じく自然に魅了されたゴッホも薔薇の絵や風景画を残している。
北斎の作品の中でも西洋人に特に大きなインパクトを与えたのは、有名な錦絵「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」である。この大波の絵は、多くの画家に影響を与えただけでなく、さまざまな製品のデザインとしても広く用いられた。ドビュッシーはこの絵に着想を得て交響詩『海』を作曲しており、その楽譜にも大波の図像を用いている。
このように西洋の美術家たちは、それぞれ自分の分野で北斎を研究し、さまざまな方法で多くの新しい作品を生み出した。だが、私たちは学校で、近代日本の画家たちが大勢フランスに留学して洋画の手法を学んだことは教わってきたが、それ以前に北斎が西洋美術に大きな影響を与えていたことまでは教わらなかった。
この東西の出会いについて、馬渕明子国立西洋美術館長は、西洋の美術家の側からすれば、「ルネサンス以来の遠近法による空間表現や対象の写実的表現、限定された色彩、理想という名のもとに形骸化した人物表現などから脱出するのに、これほど自分たちと対照的でありながら、求めていたものをもった画家と出会えたことは幸運であった」と述べている。
しかし、それが見事な成果を収めたのは、馬渕館長が指摘するように、「一方では北斎という才能のもつ大きさによると言えるが、もう一方では北斎を消化して自らのものにしてしまおうという、西洋の貪欲なエネルギーの賜物」でもあった。こうして北斎に学んだ印象派を中心とする西洋美術は、後に近代日本の洋画界にも大きな影響を与えただけでなく、今日にいたるまで多くの日本人の心を引きつけてやまないのである。
実はその北斎も、司馬江漢らを通じて西洋絵画の遠近法などを学んでいたし、接骨家に弟子入りして解剖学の知識を身に付けたりもしていた。そのことを考えると、新しい芸術を生み出すうえで異文化や異分野との触れ合いが重要な役割を果たしていることがよくわかる。いや、それは芸術の分野に限ったことではない。人間とは元来そのようにして成長し進化する生き物なのである。
(草原克豪)
■参考文献
『北斎とジャポニスム』(国立西洋美術館、読売新聞東京本社)