[異文化交流の開拓者たち] 第19回「新渡戸はなぜ『武士道』を書いたのか」

 新渡戸稲造は生涯を通じて日本を発信し続けた。それを代表するのが名著『武士道』である。このわずか150ページほどの一冊の本によって、それまで無名だった新渡戸稲造の名は一躍世界に知られることになった。ある英国の文学者はこれを「英文学史上の宝石」と称賛した。それほど格調高い名文で書かれているのだ。ぜひ英語の原文で味わってみてほしい。

 この本で新渡戸は、武士道とは「武士の掟」であり、「武人階級の身分に伴う義務」(ノブレス・オブリージュ)であると説明した。実に明快で、西洋人にも分かりやすい定義だ。それに続いて、日本人の思想や行動のもとになっている武士の掟について、義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義といった徳目を中心に説明している。武士道をこのように体系的に説明したものは他にはない。だから今でも名著として読み継がれているのであろう。

 ところで、新渡戸はなぜこのような本を書いたのだろうか。そのきっかけとなったのは、序文にもあるように、かつてドイツに留学中、ベルギーの碩学ド・ラヴレー教授が発した「宗教教育なくして、どうして道徳教育ができるのか」という問いかけであった。さらに直接的な要因としては、メリー夫人が発する「なぜ日本人はこういう考え方をするのか」、「なぜ日本にはこういう風習があるのか」といった質問に答えるためであった。

 新渡戸はそうした疑問に対する答えを探し求めているうちに、自分自身の経験に照らしてあるひとつの結論に辿りついた。それは、日本人の倫理観は武士の子として育てられた家庭環境の中で身についたものであって、そのもとにあるのは武士の世界において以心伝心で受け継がれてきた掟にほかならない、ということであった。それを彼は「武士道」と名付けた。

 つまり、新渡戸の『武士道』は、日本人の物の考え方や行動を支配する倫理道徳思想を欧米人向けに説明しようとした日本文化論なのである。

 しかし『武士道』は単に日本文化を紹介する目的で書かれたのではなかった。新渡戸は当時の武士階級出身者ならば誰でもそうであったように、祖国に対する人一倍の強い誇りと忠誠心の持ち主であった。

 当時の西洋列強にとって、文明とはキリスト教世界そのものであった。そのためキリスト教国ではない日本は、一段低い水準の未開国としか見なされなかった。そのことが日本人に対するさまざまな形での偏見や差別感となって表れていた。そうした状況を目の当たりにしてきただけに、新渡戸としては、日本はキリスト教国ではないけれども、そこには長い間の歴史文化の中で培われた立派な倫理道徳があるということを主張したかった。そうした著者の強い思いが、『武士道』の行間からひしひしと伝わってくるのである。

 切腹や刀について独立の章を設けているのも、日本人は野蛮な民族だという欧米社会の誤った先入観を改めさせるためであった。その意味で『武士道』は、新渡戸による日本の自己主張である。彼にそうさせたのは「西洋に負けてなるものか」という武士の一分であり、彼の愛国心であった。

 新渡戸は、一方で西洋の思想・文化を日本国内に紹介しながら、他方でそれ以上に、日本の歴史や思想・文化を外国人にわかりやすく説明した。彼がこのような高い発信力を発揮できたのは、単に英語が上手かったからではない。それに加えて、幼少時から身に付けた武士道的な倫理道徳観はもとより、英文学を中心とした東西の幅広い古典の素養を身に付けていたからである。彼はこうした幅広い教養を発揮しながら、祖国の繁栄と世界の平和のために尽くしたのである。

 新渡戸は世界を舞台に活躍した国際人だが、根なし草のコスモポリタンではなかった。愛国者ではあったが、国粋主義者ではなかった。彼が理想としていたのは、愛国心と国際心を併せ持った「インターナショナル・ナショナリスト」であった。だからこそ「真の国際人」なのである。

 今日のようにグローバル化が進んだ21世紀の時代にこそ新渡戸稲造のような人物が必要だ。

(草原克豪)

■参考文献
新渡戸稲造『武士道』(岩波文庫)
草原克豪『新渡戸稲造はなぜ「武士道」を書いたのか』(PHP新書)