新渡戸稲造は英語の達人であった。そのことは『武士道』の格調の高い英文からも十分に窺える。彼の英語力は小さいころから英語学校で勉強し、さらに札幌農学校の4年間で身に付けたものだ。札幌農学校の授業はアメリカの大学のカリキュラムに準じたもので、主要科目の授業はすべて3人のアメリカ人教師によって英語で行われていた。もちろん彼らは片言の日本語も話せない。その教師による農学や動物学や化学の講義を聞いてノートをとり、それを清書して添削してもらい、さらに課外には図書館の本を読んだり、学生同士の発表会などをしたりと、まさに英語漬けの毎日を過ごしたのである。読む、聴く、書く、話す、という四技能のすべての要素を含んだ総合的な英語教育であった。
とはいえ、このような恵まれた学習環境に置かれただけで自然に英語が上達したのではない。彼自身の地道な努力の積み重ねがあった。特に意を用いたのは語彙を増やすことである。のちにドイツに留学したときにも、彼は毎日20か30の単語を書いた紙きれをポケットに入れて持ち歩き、散歩をするときもこれを暗誦するようにしていた。母校の教授となってからも、生徒たちには、「一度習った英語は実際に使ってみろ。応用復習することで上達するのだ」、「英語の単語なども便所に入っている間にも口癖のように繰り返して暗誦すれば、一日に5、6語を覚えることはそれほどむずかしくはない」と言って、自らの実践に基づいた英語上達法を説いていた。英語はただ聞き流すだけでは上達するものではないのだ。
その新渡戸も、アメリカではじめて大勢の聴衆を前に演説したときは、司会者が演者の紹介をしている間手足がブルブル震えるほど緊張したという。だが今さら引っ込むわけにもいかず、立ち上がって思い切って声だけ発したところ心が落ち着いてきて、無事に演説を終えることができた。そうした経験から彼は、「弁や文の巧拙は将棋でいえば金銀で、論旨は飛車角で、王は意気込みだ」と確信した。現代風に言えば、「スキルも大事だが、もっと大事なのはコンテンツ、それ以上に重要なのはパッション」ということであろうか。
ELECの生みの親である松本重治は、若い頃ジュネーブに留学し、当時国際連盟の事務次長として活躍していた新渡戸稲造を訪ねたことがある。その松本に対して新渡戸は「狭い日本村で有名になろうとするな。世界に飛び出せ。そのためにも英語を勉強するように」と助言した。そこで松本が「英語がうまくなるにはどうしたらよいか」と尋ねると、「とにかく日本のために弁じることだ。その志さえあれば英語は必ずついてくる」という答えが返って来た。
たしかに、外国語は自分の思想を伝えるための道具だ。だとすれば、重要なのは伝える技術よりも中身のほうだ。それに加えて、どうしてもこれだけは相手に伝えたいという強い熱意がなければならない。
近年は、英語によるコミュニケーション能力を高めるため、リスニングとスピーキングを重視する傾向が強まっている。しかし、そのためには語彙を増やして英文の読解力を高め、同時に自分の思いを文章にする作文力を養わなければならない。メールを使う時代にはなおさらのこと、読み書きの能力が求められる。それなしには相手の言うことも理解できないし、自分の思いを伝えることもできない。
スピーキングといえば、外国語によるコミュニケーションにおいては、必ずしもネイティブのように流暢にしゃべる必要はない。話すべき内容と、それを相手に伝えたいという強い気持ちとがあれば、たとえ発音は日本語訛りでも、多少の文法の誤りがあっても、相手には伝わるものだ。あまり流暢すぎるとかえって不自然に聞こえるだろう。そう言えば、新渡戸の英語も東北のズーズー弁訛りだったという。
昔から「学問に王道なし」というが、英語学習にも王道はない。中学や高校においても、オーラルコミュニケーションを重視しながら、同時に語彙を増やし、読解力と作文力を養うための地道な努力が求められる。
(草原克豪)
■参考文献
新渡戸稲造『『帰雁の蘆』(新渡戸稲造全集第6巻、教文館)
松本重治『昭和史への一証言』(たちばな出版)